2018年1月21日 中華人民共和国 江蘇省の蘇州博物館に行ってきました。この前の戌年である2006年の竣工。
中国系アメリカ人建築家のI.M.ペイ(イオ・ミン・ペイ)の設計です。御年100歳の建築家。
パリのルーブル美術館に、ガラスのピラミッドをつくった人、といえば一番わかりやすいでしょうか?
以前、この空間日記で紹介した、滋賀県にあるMIHO MUSEUM(1997年)も彼の設計です。
建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞の第5回目の受賞者です。(1983年)
入館料は無料。とても混んでいる。
上の二枚は翌朝の撮影
蘇州は人口約1,000万人の都市。
「長江の南側にあり、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。東北側には、上海蟹の産地として名高い陽澄湖がある。
北京から南京を経て、昆山、上海を結ぶ京滬線が通り、蘇州駅には特急が停車する。
上海を起点に蘇州市街を通って西に延びる312国道と、常熟市街を通る204国道が幹線道路としてある。また、上海から南京に向かう滬寧高速道路が通っている。滬寧高速道路は蘇州で常熟、嘉興を結ぶ南北の蘇嘉杭高速道路と交差しており、2008年には常熟から長江を渡って南通に通じる世界最大の斜張橋である蘇通長江公路大橋により長江対岸と連絡された。滬寧高速道路は交通量の増加によって渋滞が起きやすくなったため拡幅工事を進めているほか、常熟を通る沿江高速道路が常州までのバイパスとして建設された。
古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通るなど、水運もよく利用されている。北部の太倉、常熟、張家港の長江沿いの地域には、水運を生かせる大規模工場が作られている。
運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、ヴェネツィアよりも歴史は古い。
環状の堀で囲まれた旧市街は新しいビルなどは少なく、昔からの住宅が立ち並び、世界遺産の園林などが点在している。これに対し新市街は近代的なビルや高層住宅などが立ち並んでいる。郊外は工場地帯が点在している。」(Wikipedia 「蘇州市」より)
この日の夕方、同じ蘇州市の平江路を歩いた。運河沿いの石畳の川向こうには、しっくい塗りの蔵屋敷が建ち並んでいる。
古城城壁に沿い流れる大運河が千百年間、古都蘇州を守ってきた。 蘇州の経済と文化の母、蘇州の命脈である運河は、2014年6月蘇州区沿岸の4本の運河とその他7箇所が世界文化遺産に登録されている。
蘇州は、春秋時代の紀元前514年に、呉の都として創建された。その頃から、2500年もの間、基本的な都市構造は変わっていないという。
「相土嘗水、象店法地(土と水を踏まえ、風水に合わせて都をつくる)」という伍子胥の方針のもと、水路を碁盤の目状に開削して周囲に8つの城門(陸門と水門)をおき、外濠と内濠が巡らされた。
最盛期には82kmに及んだといわれる水路のほとんどは埋め立てられて、今日はこの平江路などで見ることができるのみである。
「上有天堂,下有蘇杭」 天上に天国があり、地上には蘇州、杭州がある、という意味。それだけ、蘇州は美しい街、肥沃で豊かな土地であると、昔から言われてきた。
ペイは、このような歴史的な街並み(都市景観)を、自らの幾何学的構成の建築の中に宿らせようとしたのではないだろうか?
博物館前の植樹枡は、平江路で見た、八角形の井戸と似ている。
あいにくの雨模様の中だが、正門の左に設置された仮設のテント屋根の下で、来館者は傘を差さずに順番を待つことができる。
一旦、左に曲がって、入館の手続き、手荷物検査を受ける。
手荷物検査を受けて、また外に出る。
ようやく、入館。
エントランスホール。窓の向こうには池。
エントランスホールをある角度から見上げると、狐の顔(口元はダース・ベイダー?)のようなユーモラスな形が現れた。トップライトと木製ルーバーの組み合わせは、MIHO MUSEUMでも見られたもの。
入口からエントランスホールを左に折れて進むと
吹き抜けに巡らされた階段が見えてくる。
この場所は「蓮花池」と名づけられている
トップライトから光が注ぎ込む中
最上部から、左右に折れながら進んでいく、水路が設けられている。水の都の運河などを表現したものだろうか。
水路は、ひとつのルートに沿うのではなく、途中から、枝分かれしたりしながら進んでいく。都市を平面的に流れる運河を、重力を使って立体的に表現しているようだ。
エントランスと同じレベルの1階に戻り、右に進むと、八角形の最初の展示室が現れる。
館内には、中国屈指の古都である、蘇州のさまざまな文化財が収められている。土器、陶器、仏像、扇子、木工品、書画…
ところどころで見られる六角形の窓
切妻屋根の頂部を一方に開いて、ハイサイドライトから、自然光を導入している。
西廊にはこのような展示室が9つある。
途中、中庭に、伝統的な形式の移築された民家のようなものが、展示室として公開されている。
中庭から、廊下に戻り、鑑賞を続ける
室内の白い壁には、一部カビが発生していた。おそらく結露が生じたことが原因だろう。断熱が不十分なのだろうか?ところどころ庭に出たりできる建物の構造上の弱点からだろうか?
西廊(WEST WING)の展示を見終わると、いったん外に出て、池に渡された、ブリッジ(石でつくられた八つ橋のようなもの)渡って、東廊(EAST WING)に移動するようになっている。
西廊の西門
涼亭(pavillion)
涼亭内部
池には錦鯉が泳いでいる。
建物はH型の構成になっていて、その一つのくぼみは池が大部分を占める主庭園になっている。庭石は山並みを表しているのだろうか?
東廊側から、エントランスホール(左)、涼亭(右)を見る。
東廊に入る。
現代美術ギャラリーがある。
全て見終わり、廊下を進むと、突き当りにミュージアムショップが現れる。
ミュージアムショップを出て、左に折れて進んでいくと、元のエントランスホールに戻る。
西廊の地階と2階、1階の南側を見ていないので、エントランスホールから再び、蓮花池の方に向かう。
地階へ
西廊地階の映像シアター
地階の特別展示室
地下から二階へと向かう。
西廊2階の書画の展示室
東廊の東側の出入り口に戻り、隣接する太平天国の「忠王府」を通り抜けて、博物館前の通りに出るような順路になっている。
中庭 中央に太平天国という文字が見える(後代のもの?)
李秀成は太平天国の指導者の一人で、この地を拠点とした
通りに面した忠王府の門を出る
蘇州博物館正門(主入口)。翌朝の撮影。
夕方4時ころから1時間ほどの鑑賞でした。もう少し、展示物をじっくり見たかったというのが正直なところです。でも建物の構成は十分把握できたし、ざっと見て回るだけでも充足感はありました。
コンセプトから、ディテールまで、よく考え抜かれていると思いました。施工水準も悪くないと思います。内装材のシミや剥がれなどが散見されましたが、12年経っても比較的きれいに使われています。
ペイ家は代々蘇州で地主をつとめてきた裕福な家系だったそうです。
わずかな時間でしたが、祖先の故郷でのペイ88歳の渾身の作品を堪能しました。創建2500年の蘇州の伝統を受け継ぎながら、新しい歴史を重ねていこうとする、特別な思いが感じられました。
「人生100年時代」とは言いますが、老いてもなお涸れない、この創造に対するひたむきな姿勢は、世界中の建築家が見習わねばならないものでしょう。