今日(10月18日)、紅葉の季節ということもあって、出羽三山神社に行ってきました。

アメリカの旅は一日お休みして、出羽三山に関する話です。

出羽三山は、山形県を代表する山で、月山、羽黒山、湯殿山の三山を指します。修験道を中心とした山岳信仰の場として知られています。

山形には蔵王や鳥海山という素晴らしい山もありますが、前者は宮城県との、後者は秋田県との県境にあり、山形だけの山ではないし、県の限られた地域からしか見えません。

出羽三山は、山形の村山地方、庄内地方、そして最上地方の間にあり、そのすべてが山形県内におさまっており、多くの県民が「母なる山」のように思っています。

出羽三山神社 公式HP

出羽三山(Wikipedia )

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出羽三山に行く途中で立ち寄った、月山湖(寒河江ダムによってできた人工湖)

山が少し色づいています。出羽三山神社までは、山形市から一般道を使って車で1時間半ほどかかります。

飛鳥時代に、蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇(厩戸皇子(聖徳太子)が摂政を務めた初の女性天皇・推古天皇の一つ前の天皇)の第一皇子に当たる、蜂子皇子が、馬子の手から逃れるべく、丹後国(現在の京都府宮津市)から日本海を船で北に向かってたどりついたのが、山形県鶴岡市の由良だった。そこで八人の乙女が笛の音にあわせて神楽を踊っているのをみて、その美しさに引かれ上陸し、三本足の霊烏(ヤタガラス)の導きで羽黒山にいたり、苦行の末、羽黒権現の示現を拝し、さらに月山、湯殿山も開き三山の神を祀ったことに始まるといわれています。この話にはもちろん創作もある程度入っているのでしょうが、出羽三山にある皇子の墓が宮内庁により管理されているところを見ると、蜂子皇子が出羽三山を開山したか、またはそれに近い歴史的事実があったのでしょう。

東北(山形)と大和王朝との間に、これほど古くから結びつきがあったというのは驚きです。仮に半ば伝説だとしても、聖徳太子が法隆寺をつくる前に、出羽三山を崇峻天皇の子が開いていたのですから。

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羽黒山三神合祭殿(重要文化財)
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左より、湯殿山神社、月山神社、出羽神社
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祭殿内部

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