ヨーロッパ絵画の展示室に移動しました。
どの展示室にも、一点でもあれば、日本では企画展で人を呼べるような絵画が目白押しです。
左手にエル・グレコの『ヨハネ黙示録より第五の封印を開く』
「エル・グレコはスペインの都市トレドにある洗礼者聖ヨハネ聖堂の祭壇画を描いた。エル・グレコは1576年以後この地に住んでいた。祭壇画のまさにその一部であるこの作品は、「ヨハネの黙示録」として知られる「啓示の書」に記述されたある瞬間を描いている。」(『西洋絵画の読み方1』(パトリック・デ・リンク著 創元社刊)より)
「前景でエル・グレコは等身大の人間より大きいヨハネの陶酔した神々しい幻像を描いている。その頭と手は天上に向けて掲げられている。空は不自然なまでに暗い」(前掲書より)
「エル・グレコはプットーのような天使たちに、異なった色彩の衣服同様テキスト(=「ヨハネ黙示録」)で言及されていた白い外衣を運ばせている。天使たちは、天と地の間の伝令者として、ほかの者たちの間にあって働いている。気持ちの動揺している殉教者たちは裸であり、「黙示録」で述べられているように、その名は定かではない。」(同上)
17世紀のオランダを代表する画家、フェルメールの作品は生涯で三十数点しかありませんが、ニューヨークにはそのうちの八点があり、メトロポリタン美術館のたった一つの小さな展示室に、四点の絵が飾られています。
日本で以前フェルメールの絵が一点だけ飾られた企画展を見たことがありました。(もちろんその展覧会の目玉です。)
美術館に入場するのも大変だったし、その絵の前には黒山の人だかりができていました。
一つの展示室にフェルメールが四点もあり、そんなに込み合うこともないなか、ゆったり鑑賞できるというのは、なんという贅沢な時間でしょう。
フェルメールの絵画は、都市に住まう市民の日常を描いたものとして、そしてその独特の構図と、光の表現で、日本にも多くのファンがいます。しかし、平穏な日常を装いながら、西洋絵画のほとんどがそうであるように、フェルメールの絵画に描かれた小物類にも、それぞれに図像学的な意味が与えられています。それを読み解くのも、西洋絵画の一つの楽しみといえるでしょう。
「描かれた果実は熟れた肉体の象徴。ワインを飲み、酔い、夢想しているかのように眠る女性の後ろには、開け放たれたドアの奥に人の気配。極め付きは、壁に掛かった絵だ。仮面を踏みつけているキューピッドが描かれている。一体フェルメールはこの絵を通して何を言っているのだろう・・・。」(CREA Traveller 2015年秋号のなかの千住博氏の解説)
「左手の重々しい幕は、人生なんて幕が開き、閉まったら一巻のおしまいの一幅のドラマということだろう。床にはアダムとイブが食べて楽園を追放されることになったリンゴが転がり、そそのかした蛇が石に潰されている。女性は右足を現世を象徴する地球儀にのせ、天井からは人間の心の透明性の象徴とされる危ういガラス玉が吊り下げられている・・・。フェルメールに対する認識が少し変わってこないだろうか。」(同上)
「17世紀には、この種の絵画はトローニー(「容貌」)と呼ばれ、その風変わりな衣装、興味をそそる顔つき、個性の表現、そして画家としての才能を発揮する絵画として評価されていました。この作品はモデルを雇って描かれたと思われますが、フェルメールが目指したのは肖像画ではなく、個性と表情の表現でした。この種のオランダ絵画は、他のヨーロッパの同種の作品同様、良質の布地にあたる光、柔らかい肌、または真珠のイヤリングのような、芸術的効果を高める要素を積極的に取り入れました。」(『メトロポリタン美術館ガイド』より)
「画中画がメッセージを発していることがよくある」 この絵の場合は地図だが・・・。
「音楽と描かれた楽器の暗に意味するところは、文脈によってかなり異なっていた。いくつかの例では、それらは結婚の喜びと調和を象徴しているが、他の場合では享楽的生活と官能的生活、そして軽薄さの象徴である。」(『西洋絵画の読み方1』のフェルメールの『恋文』の解説より)
調弦もうわの空に、窓の外に目をやる女の表情に、穏やかならざる何かを感じるのは私だけだろうか。