アメリカ館には、F.L.ライトの住宅を移設してきた展示室があります。

1912年に竣工した、”Northome” House for Francis W. Littleという作品です。もともと建っていた場所はMinnesotaのWayzata。

一区画に、一軒の住宅だけしか建ててはいけないという地区計画制限に応じて、解体されてしまった住宅であり、いわくつきの移設展示です。

最初の施主の娘は、このフランク・ロイド・ライトの「ノーソーム」と同じ敷地内に、それより後に、当世風の住宅を建てたのだが、当局は、どちらか一方を解体撤去するように求め、彼女はこのライトの優れたプレーリー・ハウスの一つを手放すことを選んだのでした。1972年のことです。

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外光の入り込む廊下を通り、右手に折れると、開口部から居間の全景を見ることができる。伸びやかな内部空間。

居間はここメトロポリタン美術館に、書斎はペンシルベニアのアレンタウン博物館に移築されることになりました。

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先ほどの入り口からは柵があって中に入れず、また廊下を通って反対側に回り込むような順路になっている。

もちろん、そのような行政の杓子定規な指導や、ライトの住宅より、自分の好みの今風の住宅を選んだ施主の娘の「不見識」により、ライトの代表的な作品が失われたこと自体、建築界にとっては大きな事件であったでしょう。

だが議論はそれにとどまらず、「本当に、全てを壊してしまうことよりも、一部でも博物館などに展示するほうが良いことなのか?」「ライトの提唱する有機的建築の特徴の一つが、内部と外部の関係性であるとすれば、ライトが設計をする際に対話した敷地から切り離された、建築の一部分だけを別の場所に移築することは、適切といえるのか?」「博物館の中に展示された部屋からはライトの住宅のもつ真の思想を理解することはできないのではないか?」などという議論が沸き起こったそうです。

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反対側からみた絵。一番上の写真は、突き当り左側の入り口から撮ったもの。インテリアも丁寧につくりこまれている。
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「ノーソーム」はこのような平面をもつ、比較的大きな住宅だった。
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上の撮影位置から、左に振り向いたところ。

ピューリッツァー賞も受賞したことのある、建築評論家のポール・ゴールドバーガーは、この建築的事件について、1982年12月、ニューヨーク・タイムズに記事を寄せました。(当初はニューヨークタイムズ所属の記者だったのかもしれません。)いまだに、この記事が、インターネットで閲覧できるようになっているということは、当時相当な話題を呼んだ記事であったろうし、いまだに価値のある議論であると思われます。

New York Times の記事(Paul Goldberger)  (英語のみですが)

この記事では期間限定の展示と書いてあるが、30年以上そのままになっているから、ほとんど常設展示、アメリカ館の目玉といっても過言ではないでしょう。

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博物館に収められ標本のようになってしまっているように感じられなくもない。もともとの、ミネソタの自然と対話する住宅が、確かに見たかった。
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展示された調度品の一覧。
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内部と外部の対話を見ることができなかったのは残念だが、建築と調度品の調和が醸し出す空間の雰囲気は十分にぜいたくなものだった。

これと同様の問題は日本にもあることはみなさんもよくご存じのことだと思います。。

同じくライトのつくった、世界でも最も芸術性の高いホテルといわれた「帝国ホテル」(1923年)は、老朽化と、都心の一等地における、客室数の少なさという経済効率的な理由により、1967年に閉鎖され、この世から姿を消しました。果たして本当に、あの文化財級の建物を保存せずに簡単に壊してしまったことが、いかに収益性を重視しなければならないホテルという建物であったとしても、許される行為だったのか、何とか残す手立てがなかったのかと悔やまれます。

その一部、玄関まわりだけが、愛知県犬山市の博物館明治村に移築、再現されています。

帝国ホテル中央玄関(明治村)

私の住む山形でも、古いお蔵や民家、旅館などが、経済合理性を優先する考えでいとも簡単に壊されていき、今は本当に少なくなってしまいました。確かに、地方の小さい経済のなかで、古いものを残す余裕がないという事情もわからないではありません。しかし、今からでも意識を変えていって、何とか先人の残した素晴らしい空間を後世に伝えていけないだろうかと思います。