「設計者は、今から6年ほど前の2016年に山形県税理士会館の移転新築工事の設計競技に参加する機会を得た。敷地を見に行くと、そこには2階建ての既存建物(印刷工場)が敷地境界ぎりぎりまで建っており、隣接する建物との間をのぞき込むと、かろうじて、一間ほどの幅のコンクリートで覆われた用水路のようなものを観察することができた。地図情報などから、これが今から四百年ほど前の江戸初期に山形城主鳥居忠正がつくったとされる、馬見ヶ崎川から取水されて山形市を網の目のように流れる疎水、山形五堰のうちの一つ、御殿堰であると知るにはそれほど時間はかからなかった。
御殿堰は、江戸時代から今日に至るまで、農業用水、生活用水、都市の中の水辺空間として活用されてきたが、特に戦後の高度経済成長期には、生活排水や工業排水が流入し、水質悪化が進み、元々玉石積みでつくられていた護岸は、コンクリートで塗り固められたり、暗渠化されたりしていった。しかし近年は公共下水道の普及や地域住民の清掃活動などにより、かつてのきれいな流れを取り戻しつつある。
そのような清流を見たときに、設計者は、山形県税理士会館に大きな庇のついた半屋外空間を設け、それに面した親水広場をつくることを構想した。そのような発想からなる提案は、いくつかの設計競技応募案から最優秀として選出され実施に移されることとなった。親水広場は建物1階と同レベルとして内外を繋いだ半屋外空間とし、増水時の水位に配慮したうえで、水にできるだけ近づけるように、道路レベルから数段分下りる構成とした。さらに、この税理士会館の都市における位置は、山形市内の桜の名所である霞城公園から、馬見ヶ崎河畔桜並木へと至る、「桜を巡る散歩道」の中継地の一つとなりうるため、3本の桜(ジンダイアケボノ)の木を広場に植えることにした。
2017年12月に山形県税理会館は竣工し、今まで建物のすき間に隠されていた疎水は、道行く人々にもその存在が気づかれるようになった。しかし、その水路は山形市や水利組合が管理しているため、その護岸の構造自体に手を入れることはできず、コンクリートで覆われたままの状態で、水はきれいではあるものの無粋なありふれた用水路のようにしか見えなかった。また「御殿堰」であることを示すものが何もないため、ふと訪れた観光客や市民が水路の存在自体には気づいたとしても、それが歴史的な疎水であるという事実を知るきっかけを得ることはできなかった。
税理士会館の竣工から1年ほど経過したある日、山形市まちづくり政策部から、設計者に「公共事業として、山形県税理士会館前の御殿堰を景観整備することになったので、税理士会館、親水広場の設計者として、助言してほしい」という連絡があった。以前より山形五堰を生かしたまちづくりを標榜していた山形市ではあったが、ここ数年その新しい実践から遠ざかっていたこともあり、「せっかく民間で御殿堰に面する親水広場をつくってくれたのだから、そこに近接した水路周辺を含めて、行政の方で都市景観整備をおこなってはどうか」ということで、企画が進んだらしい。公共に属する用水路に手を入れることなど不可能と思い、働きかけすら行っていなかった設計者にとっては、予期せぬ朗報であった。
その後設計者は、道路の対面側も含めた、税理士会館前の御殿堰の景観整備に、総合監修者、デザイナーとして参加することとなり、事業主である山形市や実施設計協力者である大洋測量設計と打合せを重ね、いかにしたら、歴史性に配慮しながらも、道行く人々が興味をいだいて水辺まで降りていけるような親しみやすさを有し、御殿堰についての情報を発信する機能、生態系を育む環境をも併せ持つ親水空間をつくれるかということについて、熟慮を重ねながら、計画を進めた。また、理想を追い求めながらも、既存建築物、工作物の多く存在する都市におけるさまざまな制約にも配慮する必要があった。
コンクリートで固められた護岸から、そのなかにある江戸時代の玉石を取り出して復元することは、水路に隣接する地所への配慮から断念し、水路幅は若干狭まるものの、江戸時代の玉石に近い、蔵王山系の安山岩の産地から石を取り寄せて、大きさに配慮しながら選別し、上から貼り付ける形とした。
親水広場は建物のカーテンウォールと同心円の円弧で囲い取った形とし、官民境界から若干水路側へとはみ出すようにしている。これは、御殿堰を管理する山形市と建物の所有者である山形県税理士会が、「親水広場や水辺空間を今回、山形市の費用で整備し、美しい景観、快適な環境を提供する」代わりに、「道行く人々が水辺近くまで自由に降りていけるように、山形県税理士会側は、本来私有地である親水広場を、市民や観光客に開放する」という内容を含めた、包括的な協定を両者の間で結んだことではじめて可能になったことである。
税理士会館前の水路には、堰堤(水を堰き止め、水の流れにある程度の深さを与えることのできる、花崗岩製の堰)を2箇所もうけ、用水路としての機能維持のために行われる水門の調節で、水流が一時的に止まっても、水が枯れてしまうことなく、水辺の表情が失われないようにし、また、堰堤を越えていく際の水の表情(カスケード)を演出する意図も込めた。親水広場により切り取られて変化する水路の平面・断面形状および堰堤の高さについては、意匠面からだけでなく、水理計算等の技術的検証も行いながら、慎重に検討した。
御殿堰を流れに正対してみることができるような見学デッキ(お立ち台)を、御殿堰と交差する道路の両側に設け、摩耗しても消えないように二色の花崗岩を用いて「御殿堰」の文字を象嵌した。そして、その税理士会館側には、山形五堰、御殿堰の歴史を紹介する案内板を設けた。
このようにして、山形県税理士会館の竣工から3年余りの後、2021年4月に山形県税理士会館前の御殿堰景観整備事業は完了した。それから約1年半が経過した現在、山形県税理士会館前の御殿堰には、きれいな水にしか生えないといわれている梅花藻が繁殖し、小魚や昆虫などの水生生物が棲息するようになった。玉石の上部に意図して詰めた土や石積みのすき間には次第に苔が生えはじめ、かつてそこにあった御殿堰の風景を取り戻しつつある。
本プロジェクトは、2016年の山形県税理士会館の設計競技時の応募者の親水広場の提案から始まり、建物竣工後にそれに目をとめた行政が後追いでタイアップすることで、高度経済成長の中で失われていた都市の歴史性を回復させ、かつ市民や観光客が楽しむことができる魅力的なポケットパークとしての親水空間を形成することに成功したという点で、めずらしい事例ではないかと思われる。
最初から官民連携の枠組みの中で整備された公園や公共空間は全国に多く存在するかもしれない。しかし、民間の事業者が仕掛けた自発的な都市への試みが、やがて公共事業へと波及して、足掛け6年で、官民が手を携えた都市景観整備事業へと成長し、その結果として、歴史的な水路を再生しつつ、都市に新たな憩いと安らぎの場を創出できたことは、少し大げさに表現すれば、いくつかの偶然と関係者の多くの努力が重なってはじめてなしえた奇跡ともいえる。そのプロセスに与えた設計の役割は少なからずあり、また、周辺既存環境や歴史との対話を繰り返しながら行われた景観整備では、設計が力を発揮したと思われる。」(矢野英裕)
HP内リンク「御殿堰整備計画」(プロジェクトのページ)
以下、今までに掲載した、関連するブログです。より詳しくプロジェクトについてお知りになりたい方はご覧ください。タイトルをクリックすると本文が表示されます。
GOOD DESIGN2021受賞_都市景観デザイン[歴史的水路「御殿堰」の再生]
歴史的水路「御殿堰」の再生 GOOD DESIGN 2021 受賞記念展示
六日町の町屋がGOOD DESIGN 2019を受賞しました
(このブログの写真はすべて、小川重雄さんの撮影です。)