2017年11月18日 東京都庭園美術館を訪ねました。

エレベータ設置工事で4月10日から休館していましたが、この日再オープンしました。

JR目黒駅からほど近い、旧朝香宮邸を活用した美術館です。本館が旧朝香宮邸で、別館が写真家で現代美術家の杉本博司氏が監修した建物となっています。

旧朝香宮邸は、今から2年ほど前の2015年に国の重要文化財に指定された、アール・デコ様式の邸宅です。

企画展「装飾は流転する-「今」と向き合う7つの方法」が行われている。

「装飾は人類と共に常に存在してきました。弔いの儀式や呪術的なタトゥーなどに始まり、ときに形骸化しながらも、時代とともにまた新しい意味を伴い変化を繰り返し生き残ってきました。それはまさに生々流転と言えるでしょう。この展覧会には7組のアーティストたちが登場します。彼らは年齢も国籍もジャンルも多様です。その表現もゴシック装飾を施したダンプカーや、様々な文化圏の模様をリミックスした絨毯、窓のたたずまいからそこに住む人の生活や性格を想像した絵画など多彩なものです。彼らは全く異なる時代や価値観を対峙させたり、実際には存在しない世界を思い描いたり、日常生活の中の「装飾」を読み取ろうとしたりしています。彼らの試みを見る時、私たちは装飾という行為が、生々しい現実を複雑なまま認識するために必要な切り札だということに気がつくのです。Decoration never dies, anyway.」(美術館WEB SITEより)

本館(旧朝香宮邸) 鉄筋コンクリート造。外壁は単色のリシン掻き落とし仕上げ。フラットルーフに縦長の板ガラスの窓が連続しており、シンプルでモダンな外観。

東京都庭園美術館の沿革

武蔵野の面影を残す国立自然教育園に隣接した同館の敷地および建物は、香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王が1947年の皇籍離脱まで暮らした邸宅だった。この土地は白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には一時陸軍の火薬庫が置かれ、後に皇室財産となっている。宮邸は朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸(ただし外相は総理の吉田が兼務していたので実質的には総理大臣仮公邸)として1947年から1950年にかけて使用された。1950年には西武鉄道に払い下げられ、1955年4月に白金プリンス迎賓館として開業し、国賓公賓来日の際の迎賓館として1974年まで使用された。1974年5月からプリンスホテルの本社として使用された後、1981年12月に東京都に売却され、1983年(昭和58年)に都立美術館の一つとして一般公開される。(Wikipediaによる情報)

玄関から一歩足を踏み入れるとこの外観からは想像できないような、めくるめく世界が展開します。

旧朝香宮邸とは

朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年[明治39]に創立した宮家です。鳩彦王は、陸軍大学校勤務中の1922年[大正11]から軍事研究のためフランスに留学しましたが交通事故に遭い、看病のため渡欧した允子内親王とともに、1925年[大正14]まで長期滞在することとなりました。
当時フランスは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた朝香宮ご夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、アール・デコの精華を積極的に取り入れました。また建築を担当した宮内省内匠寮の技師、権藤要吉も西洋の近代建築を熱心に研究し、朝香宮邸の設計に取り組みました。さらに実際の建築にあたっては、日本古来の高度な職人技が随所に発揮されました。朝香宮邸は、朝香宮ご夫妻の熱意と、日仏のデザイナー、技師、職人が総力を挙げて作り上げた芸術作品と言っても過言ではない建築物なのです。
現在は美術館として使われていますが、内部の改造は僅少で、アール・デコ様式を正確に留め、昭和初期の東京における文化受容の様相をうかがうことができる貴重な歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されています。(美術館HPより)

 

1920~1930年代にかけて流行したデザインが「アール・デコ」。食器をはじめとした日用品からファッション、自動車などに代表される工業製品、世界中の建築にも取り入れられたデザイン様式のことを指す。

アール・デコという名称は1925年にパリで4月から10月にかけて開催されたパリ万国博覧会にちなんでいる。正式には「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」と呼ばれる博覧会。この「装飾美術=アール・デコラティフ」を簡略化して、アール・デコと呼んだのがはじまりである。1925年様式(LESTYLE1925)ともいわれる。

正面玄関 内装設計:宮内省内匠寮 床一面のモザイクは細かい天然石で制作され、デザインは宮内省内匠寮技手の大賀隆が手掛けた。円やジグザグなどの幾何学模様はアール・デコの特徴を表している。宮内省内匠寮(たくみりょう)は宮内省所管の建築、庭園、土木などの設計・監理を司る組織。その歴史は古く、8世紀初めの聖武天皇の時代にさかのぼる。旧朝香宮邸では建物全体の設計・監理を行い、フランスと日本のアールデコを見事に融合させた。

室内に入ると、1階は来客をもてなすパブリックスペースで、大広間、大客室、大食堂等の主要な部屋の内装設計はアンリ・ラパン(1873-1939)が手掛けている。それらの部屋の装飾には、ルネ・ラリックら当時気鋭のフランス人作家の作品が起用され、華麗な「フランスのアール・デコ」が展開されています。

「アール・デコ」という名称が現在の意味で定着するようになったのは、このデザイン様式が再評価されるようになった1960年代後半からであった。1920年代当時、ヨーロッパは第一次世界大戦が終わって新しい時代を迎えようとしていた。科学技術の進歩の伴い、デザインもまた合理的で斬新なものが生み出され、かつ受け入れられていった。

アール・デコのデザイン様式は、そのひと時代前のアール・ヌーヴォーと比較される。後者の造形は曲線的・有機的・非幾何学的、非対称的、平面的であるとされ、植物や女性の髪、動物の骨、トンボやトカゲといった生物などをモチーフにするものが多かった。

洗面器の中には現代美術の作品が展示されている。高田安規子・政子による《凱旋門⦆2014年 軽石

かわって、アール・デコは、直線的で無機的、幾何学的、左右対称的、立体的である。流線形、放物線、ジグザグの線や円形をモチーフにし、それらを組み合わせて使うことが多い。すっきりした線の革新的なデザインは、機能的かつ美しさを兼ね備えたものであった。近代的な都市生活にふさわしいスタイリッシュな様式である。

1階大広間 内装設計はアンリ・ラパンによる。ラパンはフランスの室内装飾家、デザイナー。香水塔の他、1階の大広間、大客室、小客室、次室、大食堂、2階の殿下居間、書斎の全七室の内装デザインを手掛けている。

壁面にウォールナット材を使用し、装飾を抑えた重厚な空間をつくりだしている。正面のアーチにはさまれた鏡と大理石の暖炉はシンメトリーの落ち着いたデザインに華やかさを添えている。

中央に展示されているのは、ヴィム・デルヴォワ(Wim Delvoye)のリモワのスーツケースにイスラム装飾を施した作品。

天井には格子縁の中に40個の半球状の照明が整然と配置されている。
ガラスレリーフ扉 ルネ・ラリック(1860~1945)の作品 フランスのジュエリーデザイナー、ガラス工芸家。 有翼の女性像をモチーフとして、型押ガラス製法でつくられている。本邸のためのオリジナルデザインであるということと、その大きさを考えるとラリックの作品の中でも貴重なものといえる。
中央階段右手の大理石レリーフはフランスの彫刻家レオン・ブランショの作品。森の中で《戯れる子供たち⦆が描かれていて、古典的作風がこの空間にやわらぎを与えている。イヴァン=レオン=アレクサンドル・ブランショ(1868-1947)フランスの彫刻家、画家。大食堂のレリーフも手掛けており、どちらにもBLANCHOTのサインが確認できる。

1階次室 デザイン:アンリラパン。 白色の香水塔、モザイクタイルの床、黒漆の柱、朱色の人造石の壁、そしてガラス窓から広がる庭園の緑、これらが織りなす色彩のハーモニーは、大広間の落ち着いた色調とは対照的にアール・デコ特有の華やかな空間を形成している。白漆喰の天井は半円球のドームになっており、装飾過多になりがちな空間に調和をもたらしている。この小さな空間においても材質・色彩にアール・デコの特徴が顕著に表れている。
1階大客室 内装設計:アンリラパン 旧朝香宮邸のなかでも最もアール・デコの粋が集められているのが、この大客室と次に続く大食堂である。壁面の上部を囲むように描かれた壁画はアンリ・ラパンによるもの。また、ルネ・ラリック制作のシャンデリア、扉の上部にあるレイモン・シュブのタンパン装飾、マックス・アングランの銀引きフロスト仕上げのエッチング・ガラスを嵌め込んだ扉など、この部屋では幾何学的にデザインされた花が主なモチーフとして用いられている。

展示されている作品はベルギーの作家、ヴィム・デルヴォワ(Wim Delvoye)の《ダンプカー(1/6スケールモデル)》2012年 レーザーカット加工のステンレス鋼

香水塔 デザイン:アンリラパン。 これも現代美術の作品なのかと思っていたが違った。 香水塔はアンリ・ラパンがデザインし、自身が芸術監督を務めていたフランス国立セーヴル製陶所で製作されたもの。《ラパンの輝く器》と製陶所の製作記録には記されている。もともとは水が流れるような仕組みが施されていたので、建築図面などには「噴水器」との記述がなされていた。朝香宮邸時代に上部の照明部に香水を施し、その熱で香水を漂わせたという由来から、香水塔と呼ばれるようになった。
1階大客室
大客室の暖炉
大客室奥から香水塔方向を見る。
マックス・アングラン(1908-1969)によるエッチングガラスを嵌め込んだ扉。アングランは、フランスの画家、ガラス工芸家。ガラスを素材とした室内装飾のほか、ステンドグラス製作も行った。
1階大食堂 内装設計:アンリラパン  大食堂と隣の大客室とはマックス・アングランのエッチング・ガラスの引き戸で仕切ることができる。南側に庭園を望み、大きく円形を描く張り出し窓は、開放的な独特の空間を形作っている。来客時の会食用に使用された部屋ということでルネ・ラリックの照明器具《パイナップルとザクロ》やガラス扉等に果物がモチーフとして使われている。窓から見える庭園の緑、壁の橙色、ラパンの多色の壁画、壁面と扉の銀色など、邸内のなかでも最も色鮮やかな一室といえる。

展示されている作品はオランダのニンケ・コスター(Nynke Koster)による、《オランダのかけはし》 2017年 シリコーンゴム

植物文様の壁画はレオン・ブランショが手掛けた。このレリーフはコンクリート製でフランスから送られてきたが、到着時にひびが入っていたため、日本で型を取り石膏で作り直し、銀灰色の塗装が施された。
暖炉の上の壁画はアンリ・ラパンの作で、赤いパーゴラと泉が油彩で描かれている。
ラジエターカバーと暖炉の柵は宮内庁内匠寮のデザインで、魚介類が施されている。
1階小食堂
同上

テーブルの上に置いてあるのは、雰囲気を出すための通常の演出かと思ったが、高田安規子・政子の作品《Four Seasons Plates》だった。

第二階段
第二階段(姫宮寝室前)の天井から吊り下げられた星形の照明。正十二面体の各面に五角錐の突起をつけたものか?
第二階段から2階広間へ通じる廊下

2階は朝香宮家のプライベートルームで、内装は主に宮内省内匠寮が手掛けている。権藤要吉をはじめとした内匠寮の技師たちは、アール・デコの精華を採り入れつつ、随所に日本的なデザインを散りばめて、いわば「日本のアール・デコ」をつくりあげた。建物全体に、最高級の素材が使用され、それを日本の職人が匠の技で仕上げている。

ラジエターカバーには日本の伝統的な文様である青海波が使われている。

このように、旧朝香宮邸は日仏のデザイナーや作家、内匠寮の技師たち、そして職人たちの熱意と努力で築き上げたものであり、建物自体が一つの芸術作品といえる。

2階北側ベランダ(北の間) 内装設計:宮内庁内匠寮

展示されているのは、山縣良和の《七服神》「THE SEVEN GODS-clothes from the chaos」2013春夏コレクションより 2012年 ミクストメディア

2階広間 内装設計:宮内省内匠寮

展示されているのは山縣良和の「神々のファッションショー」2010年春夏コレクションより

はめ込み金物は、ブロンズ製銀イブシ仕上げで、2階広間の照明柱、天井照明とともにアール・デコ特有のパターン化された花模様で統一されている。
2階殿下居間 内装設計:アンリ・ラパン 高さのあるヴォールト天井が空間に広がりを与え、ヒノキ材の付け柱、大理石の暖炉と鏡が落ち着いた品格を添えている。壁紙とカーテンは現存する壁紙をもとに2014年復原。この図柄も、噴水を思わせる放物線がアール・デコ調にデザインされている。

展示されているのは山縣良和の《インバネスコート》「After Wars」2018年春夏コレクションより

2階書斎 内装設計:アンリ・ラパン 正方形の部屋の四隅に飾り棚を設置することで室内を円形に仕上げている。シトロニエ材の付け柱が四方に配置され、ドーム型の天井と間接照明により求心的な空間が演出されている。絨毯、机、椅子も室内同様に、アンリ・ラパンによりデザインされている。旧朝香宮邸は、終戦時の一時期、吉田茂が外務大臣公邸として使用していたが、その時は執務室となっていた。

展示されているのは山縣良和の《before running away from home》2007年

2階 書庫 書斎の左隣に併設されている。
2階ベランダ

展示されているのは山縣良和の「フラワーズⅢ」2018春夏コレクションより

2階 殿下寝室

展示作品は山縣良和の《地球ルック》「Save the Earth」2015年秋冬コレクションより

2階 若宮寝室

壁に展示されているのは、山本麻紀子の《Through the Windows》以下の二室も同じ

2階 合の間 (たぶん)
2階若宮居間

 

新館への渡り廊下
新館外観 右手に旧館がある

新館は杉本博司の監修のもと、久米設計が設計した。杉本氏らしい素材の使い方。
左手にミュージアムショップ・ノワール
新館展示室入口
新館の展示室内

壁に掛けられているのが、イギリスの作家コア・ポアの作品。

床に置かれた作品はニンケ・コスターの《時のエレメント》

微妙に結晶の出方が違う溶融亜鉛メッキ燐酸処理したスチールの板と鏡面仕上げのステンレスの板を組み合わせたギャラリー2(閉鎖中)の扉

 

新館のカフェ「カフェ庭園」

庭園の方から見た旧朝香宮邸外観

日本庭園
同上
日本庭園内に茶室「光華(こうか)」がある。木造瓦葺平屋建てで1938年(昭和13年)完成。他に倉庫と馬車庫があるが、それらは本館と同時に建設された。
「光華」内観

芝生広場。庭園美術館には、日本庭園と芝生広場、そして西洋庭園の3つの庭があるようだが、西洋庭園は現在整備工事中のようだ。
芝生広場に置かれた彫刻
受付・チケット売り場横にはミュージアム・ショップが併設されている。この建物は後年のものだろうがアール・デコを意識したものになっている。新館のミュージアムショップはノワール(黒)だったが、こちらはブラン(白)。

アール・デコの本館、杉本博司監修の新館、2つ(本来は3つ)の庭園、そして現代美術の展示と、短時間では消化しきれないほどの内容でした。

今から90年前に、意匠を凝らし職人や芸術家が手仕事でつくりあげた本館は特に見事で圧倒されましたが、それをただの歴史遺産をして保存するのではなく、現代美術との対話でよみがえらせている、その取り組みが素晴らしいと思いました。庭を見ながらカフェでくつろぐこともでき、雨もぱらつくあいにくの天気でしたが、大勢の人々でにぎわっていました。都心にいるとは思えないようなゆたかな庭園をめぐることでさわやかな気持ちになり、短い訪問でしたが満ち足りた気分でその場をあとにしました。

 

重要文化財の近代建築というと、従来はそれにまつわる歴史博物館のような使われ方が多かったように思います。そのような施設は往々にして、リピーターもつかず、なかなか集客力を保つのが難しいという問題を抱えているようです。私の住む山形にある重要文化財の近代建築、文翔館(旧山形県庁舎)・旧済生館本館・旧山形師範学校等も、その例外ではなく、非常に魅力ある建物なのに時々訪れてみてもそれほど人は入っていないようです。もっと市民や観光客に足を運んでもらえるような活用法を考えてもいいと思います。

 

近年、歴史的建造物でも、この施設のように美術館だったり、ホテル、結婚式場などに使われる事例が増加しているという話も耳にします。(→第四師団司令部庁舎を結婚式場にした「ザ ランドマークスクエアオオサカ」

最近では、重要文化財の旧奈良監獄をホテルにするということが話題になっていました。(日本経済新聞の記事

 

旧朝香宮邸が、建築、美術、庭園、歴史をいう多くの文化的刺激を同時に楽しむことのできる魅力的な美術館として、時を超えて生きていることに今回あらためて感銘を受けました。

翻って、標本のように保存するのではなく、現役として人々に生活の中で親しまれて、それ自体が収益を生む仕組みをつくることで、維持管理に公的資金を投入しなくても生き残っていけるような文化財のあり方をもっと考えていかねばならないと思いました。

 

建築概要

敷地面積 34,765.02㎡

本館

建築面積:1,048.29㎡
延床面積:2,100.47㎡
構造:RC造 地上3階・地下1階
設計者:宮内省内匠寮工務課
主要内装デザイン:アンリ・ラパン
建設:1933年

新館

建築面積:1,298.26㎡
延床面積:2,140.81㎡
構造:S造一部SRC造 地上2階・地下1階
設計・監理:東京都財務局・株式会社 久米設計
アドバイザー:杉本博司
建設:2013年

 

(参考文献:東京都庭園美術館リーフレット、アール・デコの建築(NHK出版))