11月28日、宮城県美術館に初めて行きました。
宮城県美術館は、宮城県立の美術館で、仙台城二の丸跡に位置しています。
本館は前川國男建築設計事務所、付属して建てられた佐藤忠良記念館は大宇根建築設計事務所による設計です。それぞれ、1981年、1990年の開館。
前川國男は、近代建築の三大巨匠の一人と言われるル・コルビュジエのパリのアトリエで直接学んだ三人の日本人のうちの一人で(他の二人は坂倉準三、吉阪隆正)、日本の近代建築の礎をつくったといっても過言ではない建築家です。帰国後、アントニン・レーモンドの事務所にも勤務しています。
のちに東京オリンピックの代々木オリンピックプールなどを設計し初めて世界的に認められた日本人建築家となる丹下健三は、前川國男の事務所で学びました。
大宇根事務所の大宇根弘司は前川國男の弟子にあたる建築家です。前川國男は1986年に亡くなっているので増築である記念館を大宇根氏が担当したのではないでしょうか。
この建物も、前川國男が開発した、打ち込みタイル(コンクリートの躯体に、仕上げとしてあとからモルタルでタイルを張り付けるのではなく、コンクリート打設前に、型枠の内側にタイルを仕込んでおいて、打設完了と同時に、タイル張りとなる工法。タイルが剥落しにくい。)が使われています。
35年近くたった今でもきれいな外観はさすがです。
広場を通って、徐々に、建物にアプローチしていきます。白い列柱のうちの一本だけが、角度が異なり、アクセントになっています。
エントランス・ホールに至る、長いポーチです。(エントランス・ホール側から見た絵です)
企画展入口まわり
レストラン 家族連れなどでにぎわっている
レストランの屋外テラス席 私はここで昼食をとりましたが、この季節はさすがに、ここでもOKというお客さんは少ないです。
テラス席も面している、回廊のまわった四角い広場。この広場には、冒頭のエントランス・ポーチも面している。左手がレストラン、手前側がエントランス・ポーチ、右手が講堂です。
佐藤忠良記念館への連絡通路の途中にあるカフェ。
展示室前のホワイエ。前川へのリスペクトは感じられるものの、本館と床・壁の仕上げなどはテイストが異なる。
佐藤忠良展示室前。佐藤忠良は宮城県生まれ、北海道育ち。そのため、作品が宮城県に寄付された。
先ほどのカフェの窓を外部から見たところ
別館(佐藤忠良記念館)の外壁仕上げやそのディテールは本館に合わせている。タイルは端数が出ないよう綺麗に割付けられている。
佐藤記念館と同時につくられたアリスの庭。(本館と別館の間にできた中庭) ミラー・ガラスは前川國男本人の趣味とは少し違うような気がするので、大宇根氏が少し自分の個性を出そうと、思い切って挑戦してみたのだろうか?
アリスの庭のほうを振り返る。
前川國男が大きな影響を受け、生涯を通じて追求した、ル・コルビュジエの「建築的プロムナード」の思想が、大宇根設計の佐藤忠良記念館に至るまで貫かれています。
ごくごくシンプルで、オーソドックスな空間構成の中に、例えば、広い空間から狭い空間へ、明るい空間から暗い空間へ、しばらくまっすぐ歩いては折れ曲がり、というように、心地よい「明暗」「緩急」などのリズムをつくりながら、建築内部を歩いて楽しませるような工夫がなされています。
展示を見なくても、前川のゆったりした「建築的プロムナード(散策路)」を散歩するだけで、豊かな気持ちになれるような、懐の深い建築でした。
前川國男は生前に作品集をつくらなかったようで、あまり、その作品が知られていません。生誕100年記念の展覧会の図録が一番よくまとまっているようですが、その図録ですら、この「宮城県美術館」はまともに掲載されていないのです。
「灯台下暗し」 自分の身近に、このような、隠れた名建築があることに気づかされました。これからも探して歩こうと思います。
[…] 大高は、日本人の3人のル・コルビュジエの弟子のうちの一人、前川國男の流れを汲む建築家です。以前、この空間日記でも取り上げた宮城県美術館は前川國男の作品ですが、それにも通じるゆったりした雰囲気がこの美術館にはあります。 […]