1953年12月、ベス・ショロム会の司祭であったモーティマー・コーエン師からライトは正式な依頼を受け、翌年1月には、ライトは「…教会はすでに私の心の中に建てられました。」という手紙を送ったという。
ライトは工事の大部分に立ち会ったが、建物の完成を6か月後に控えた1959年春にこの世を去った。(参照:GA『フランク・ロイド・ライト全集』第8巻)
この形どこかでみたことあるなあと思っていたのですが、帰国後調べてみると、そっくりのドローイングが本の表紙に!
これは、ライト自身が、1926年ニューヨークで、ウイリアム・ノーマン・ガスリーのために設計した、スティール・カテドラルのドゥローイングである。
図面に「…3つの大聖堂とそれらを取りまく9つの礼拝堂に100万人(本の記述は100万だが、図面には100,000peopleと書いてある。おそらく10万の間違いだろう。)の信者を収容する偉大な超宗派の信仰の場、中央部に吹き抜けるのは巨大な聖餐式堂の空間…」とライト自身により記されている。
「商業美術フェスティバル」に関する注釈もあり、博覧会用の建物なのか、カテドラルなのかは謎だという。(参照:GA『フランク・ロイド・ライト全集』第5巻)
四半世紀後に、このアイディアを実現させた建築家の執念は敬服に値する。
「使いまわし」ということではなく、一度いいと思ったアイディアは、またどこかで日の目を見る機会があると思って温めておくことも大切だと思いました。
このシナゴーグのために特別にデザインされたドアハンドルを押して内部に入ると
玄関左手にある階段を昇っていくと大聖堂が、
祭壇付近まで行って振り返ると
上層の平面図(座席数は1214と記されている)
下層の平面図(座席数は240(?下一桁不明)と記されている)
辺の長さは等しいが、頂角が一つおきに変わる、六角形プラン。
STEEL CATHEDRAL は十万人を収容することをもくろんでいたので、スケールはだいぶ小さくなっているが、それでも十分に人々を感動させる空間のボリュームをもっている。
コンクリートの巨大な基礎(図面上ではbastion(稜堡(築城用語らしい))と記されている)の上に、鉄骨(H鋼)の登り梁が据え付けられている。
屋根は網入りガラス、内側(天井)はプラスチック(ポリカーボネイトの波板?)か?
Beth Sholom Synagogueを後にして、落水荘へ。