2017年12月31日 群馬県川場村の道の駅「川場田園プラザ」に行ってきました。関東で一番人気のある道の駅です。2016年は年間180万人の入場者数を数えました。平日を含めても1日平均5000人というのは驚異的な数字です。(上毛新聞記事より)

施設ホームページより
位置はこのあたりです。

私が訪れたのは大みそかでしたが、それでも家族連れを含め、かなり多くの観光客でにぎわっていました。

首都圏からの観光客が7割で、年3回以上訪れるリピーターが2016年は76万人に上りました。(同上)

道の駅「川場田園プラザ」は2015年1月に全国1040カ所の道の駅からたった6カ所選ばれた、全国モデル「道の駅」のひとつです。

今でこそ、道の駅は全国いたるところに整備されており、それほど珍しいものではありませんが、1993年(平成5年)に国土交通省(当時は建設省)によって登録された103の施設が第一号であり、制度化されてまだ四半世紀しかたっていない比較的新しいビルディングタイプです。

「道の駅」とは?
長距離ドライブが増え、女性や高齢者のドライバーが増加するなかで、道路交通の円滑な「ながれ」を支えるため、一般道路にも安心して自由に立ち寄れ、利用できる快適な休憩のための「たまり」空間が求められています。
また、人々の価値観の多様化により、個性的でおもしろい空間が望まれており、これら休憩施設では、沿道地域の文化、歴史、名所、特産物などの情報を活用し多様で個性豊かなサービスを提供することかできます。
さらに、これらの休憩施設が個性豊かなにぎわいのある空間となることにより、地域の核が形成され、活力ある地域づくりや道を介した地域連携が促進されるなどの効果も期待されます。
こうしたことを背景として、道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の方々のための「情報発信機能」、そして「道の駅」をきっかけに町と町とが手を結び活力ある地域づくりを共に行うための「地域の連携機能」、の3つの機能を併せ持つ休憩施設「道の駅」が誕生しました。
(国土交通省「道の駅案内・概要」より)

構想づくりは、現在東北芸術工科大学名誉教授の造園家・環境デザイナー三田育雄さん(ラック計画研究所主宰)によって行われました。(以下の記述は、三田氏のレポートを参照しています。(一部、引用・抜粋))

田園プラザ構想が生まれたのは平成元年で、当時はまだ、道の駅制度は存在していなかったので、もっぱら村内事情からの芽生えだったといいます。

川場村は、昭和50年の初めに「農業+観光」と銘打って、地域振興事業としてSLホテルを中心にスポーツ、体験、温泉浴活動を盛り込んだ自然休養村事業を立ち上げました。その後、世田谷区から「世田谷区民健康村」の設置と、交流事業のオファーを受けてから、都市との交流事業を軸とした村づくりを進めてきました。

平成に入って両者の交流協定10年が近づき、次の10年の交流事業のあり方を検討する過程で表明された次の二つの意見から「田園プラザ」が浮上することになりました。

・交流活動は、世田谷区の施設以外の、村のそこここで展開されることが望ましい。

・村内で生産した農産物を、来村した区民にアピールし、買ってもらいたい。

こうした意見は、次に、川場村の過疎計画や総合計画(平成2~3年)の中で発展的に議論され、位置付けられていきました。

そして、当時の村の“ないものだらけ”の事情を解消するために、次のような盛りだくさんの内容が加わり、いわば、村の“タウンセンターづくり”になっていきました。

【田園プラザのねらい】

・農産物のPR・直販

・交流の場の拡大

・来村者への情報提供

・新たな特産品づくり

・村民消費の拡大

・村民の就業の場づくり

・広域農道(現在の望郷ライン)への対応

・スキー場のシャトルバスの起点

まだ、国の制度として確立されていなかった「道の駅」の基本的な要件である「休憩機能」「情報発信機能」「地域の連携機能」を、奇しくも当初から「田園プラザ構想」は満たしていたと言えそうです。

構想づくりは、当時、三田さんが主宰していたコンサルタント事務所が担い、村の懇談会で議論することになりましたが、平成初期はバブル崩壊の時期であり、方向付けや絞り込みは難産だっただけでなく、村内には設置反対論も少なくなかったそうです。

世間では倒産や価格破壊の風が吹き荒れ、まして道の駅制度も存在しない状況だったので、取り組みを否定する声が上がるのも無理からぬ状況でした。

そこで、村民消費を担保性の高いニーズとして取り込むとともに、事業の進捗に応じて軌道修正するために段階的な事業化を図ることとし、リスクをできるだけ減らしました。

視察の案内の際に、最初に中央の広場に誘導した途端、「これなら人が来るな」という印象を口にするグループが何組もあるそうです。

私も、同様の印象をもちました。

「関東好きな道の駅」の人気投票で、田園プラザを1位に押したユーザーが指摘した「好きな理由」のトップは「優れた環境・風景」だったそうです。

田園プラザが好きな理由(アンケート結果:三田氏レポートより)

 

プラザの人気要因として施設や食の多様性があげられることもありますが、もっと本格的で、充実した施設を擁する道の駅は少なくないでしょう。

周囲の田園環境とマッチした風景・環境の舞台があるからこそ、様々なショップや工房が成り立っているのであって、後述するファーマーズ・マーケットを除けば、ショップや工房は集客核たりえません。このような空間構成を指向した理由は、12時間交通が2000台そこそこの県道立地では、一桁多い交通量の国道沿線の道の駅のように立ち寄り利用を期待できないので、村内の宿泊客を含めて、目的的に来訪してもらえる受け皿づくりが不可欠だったからだということです。なるほど、納得がいきます。

田園プラザ構想図(平成4年6月)三田氏のレポートより

そして、他の道の駅にはないような田園環境の中でゆっくり滞留できる道の駅づくりを目指して、広場を囲む村の中心部の小集落のような空間づくりが行われました。各施設は大型化、集合化せず、村の農家のような規模とファサードで小広場を囲繞するように配置し、来訪者はそこを周回しながら広場で休息できる構成となっています。

田園プラザ現況図

比較すると若干違う点があるが、ほぼ構想図の理念は実現されているようです。

ソフトクリーム売場と陶芸体験教室

道の駅の中核施設、川場村観光案内所。

観光案内所の左手には、食堂(麺屋川匠)が併設されているが、食事ができる場所は、ここだけでなく、いたるところにある。

食堂(麺屋川匠)内部
左手には、飲むヨーグルトの試飲販売

 

この緑と水面のある中心広場は、今でこそ、来訪者に高く評価されていますが、当時の村内や関係者の間では批判や非難をする向きが多かったそうです。特に商業コンサルタントからは、沿道の駐車場周辺部の、もっとも商業環境に恵まれている箇所を広場にして、奥に中心施設を配置することは定石外れだと指摘しました。しかし、三田先生は、田園プラザのターゲットとする客はレクリエーションや旅行を楽しむことを目的としているので、都市内外のショッピングセンターのような商業環境づくりは的はずれと考え、今日のような構成を貫いたそうです。

奥に見える建物に、そば処「虚空蔵」が入っている。

個々の施設は、高崎、前橋の複数の建築設計事務所が設計にあたりましたが、いずれも、上述のような考えと、以前から村が取り組んでいたホープ計画(当時の建設省の地域住宅づくり)で打ち出した風土に合った住まいづくりの考え方に沿って、村の伝統的な農家建築様式(大きさ:5間×10間、様式:真壁づくり)に準じたデザインで統一されたことで、文字通りの「田園プラザ」に仕上がり、多くの来訪者の支持も集めています。

一つ一つは特筆するような建築ではないと思うが、上述のような共通のデザイン・コードが守られているので、群としての統一感、落ち着きが感じられて、心地よい。

さすがに冬の時期は屋外での食事は難しいが、春から秋にかけては大勢の人たちでにぎわうのだろう。

春秋の休日には、沼田インターチェンジから6kmあまりのアクセスが渋滞し、「行列のできる道の駅」現象が起きているそうです。

高台から全体をみる

冬でも、家族連れが集まってくるような仕掛けがある。

ちびっ子ゲレンデは、冬季以外は「大すべり台」になるようだ。

冬には、子供たちが専用そりを借りて、遊ぶことができる。よい仕組み。ちょっとこのプレハブの小屋はいただけないが。

既製品の遊具。こういうものも必要なのは分かるが、全体の雰囲気からするとちょっと合わないかな。

グランド・オープンから10年間(平成10年代)は、来訪者数が対前年比6.9%と着実に伸びたが、その前半では、まだ行きつ戻りつを繰り返す歩みだったそうです。この状況が一変したのが、関東道の駅連絡会が主催する、ユーザーによる「好きな道の駅」ランキングで平成16年から5年間、連続第一位になったことだそうです。ランキングが公表されると同時に、ネット上の書き込みが急激に増え次第に知名度も上がり、やがて、山村の無名の道の駅が、関東を代表する道の駅として認知され、後半の伸びにつながりました。

ピザハウス内部。券売機で注文するシステム。
三田氏のレポートより

 

平成20年代には、NHK「1都6県」(平成21年)を皮切りに、テレビや雑誌に取り上げられ、知名度と集客力が一段とアップしました。また、日経新聞の「一日楽しめる道の駅」第一位など、各方面のランキングにより、関東を代表する道の駅から、全国有数の道の駅へと、さらに格が上がりました。

ミート工房はこの日は休業中

 

川場ビールレストラン武尊

田園プラザが、各方面でNo.1道の駅としてランク付けされ、たくさんの人が来訪し、国政上も先進事例として評価されることで、行政マンの意気も高揚し、また村民にとっては誇りになるだけでなく、村そのものへの愛着や自信を醸成する役割をも果たしています。

田園プラザベーカリー
川場ビールの醸造過程がベーカリーからガラス越しに見える

屋根の下には食事がとれるような、休憩スペースがある。

物産センター

ファーマーズ・マーケットは盛況で、これが地域農業の多様化、活性化を促しています。川場村では、他地域と同様に、農家の減少と高齢化が進んでいますが、ファーマーズ・マーケットは、その登録者数が400を超えるまでに増加し、系統出荷になじまない少量生産農家の農産物の商品化を支え、各世帯収入の向上、遊休農地の減少をもたらしています。

また、出荷者は売り場への直接納品や引き取り、そして時として受けるクレームを通して学習し、鼓舞され、着実に成長しているといいます。

ファーマーズ・マーケットは、上記に加え、従来、村において所得機会を得にくかった高齢者や婦人に、生産者や出荷者として貴重な参加の場を提供する効用がありました。家事をもった女性でも、最寄りの立地ということから、その都合にあった部署への柔軟な就業が可能となり、一層社会参加の機会が広がります。

田園プラザ事業と世田谷区との交流事業の二枚看板事業は、「農業+観光」のむらづくりを牽引し、平成12年の国勢調査の結果、過疎化に歯止めがかかったことが確認され、同年、過疎指定が解除されました。

大みそかの夕方はさすがに人の引きも早いですが、この場所ではこんなことは1年のうちに何度かしかないのでしょう。

隣接したブルーベリー公園も、季節のよい時には散歩したりして楽しめるのだろう。
うどん、おきりこみ、ご飯物の、「あかくら」(閉店後)

今日、地方創生が国の重要政策に位置けられています。しかし、様々な掛け声でその実現に向けた取り組みが行われてきましたが、功を奏せずに終わったものが多く、地方創生の有力なカードがなかなか見つからないという現状があります。そんな中、国土交通省は、道の駅事業を地方創生の手段として位置づけ、全国モデル道の駅、重点道の駅、同候補などと格付けして、さらなる発展を促す政策を打ち出しました。

その頂点に立つ、「全国モデル道の駅」として選ばれた、「川場田園プラザ」を今回巡ってみて、さすがだな、と感心しました。

道の駅には、過疎指定をも解除させるような可能性があるのだということも知りました。

しかし、全国で1000以上(2017年11月時点で1,134)ある道の駅のすべてがそうであるという訳ではありません。

企画、構想づくり、そして経営まで二十数年にわたり関わられた三田先生のレポートを拝読して、実情に合わせた段階的な整備を行いながらも、常識にとらわれないで、筋を通すべきところは通すことの大切さを感じました。

当初のコンセプトを守り、信念を貫くことがなければ、きっとここまでの成功はなかったでしょう。

宿泊施設も併設され、多様な飲食施設、体験工房、そして散策して楽しめる広場や公園があり、24時間楽しめる道の駅というのは誇張ではないようです。

今度は、もう少し暖かい時期にきて、また違った魅力を体験してみたいです。