1月9日に、東京六本木の東京ミッドタウン内にある21_21 DESIGN SIGHT で開かれている、「フランク・ゲーリー展」に行ってきました。
10月からやっていて、ずっと見にいきたいと思っていたのですがやっと行くことができました。フォスター展よりも、実をいうとこちらの方が見たかったのです。でもフォスター展もなかなかで、趣向も違い、甲乙つけがたい、どちらも素晴らしい建築展だと思いました。
I went to the exhibition “Frank Gehry – I Have an Idea” held at 21_21DESIGN SIGHT in Tokyo Midtown, Roppongi, Tokyo. 21_21 DESIGN SIGHT was designed by Tadao Ando. The original concept that we Japanese should have “design museum” was proposed by Issei Miyake, a famous fashion designer who is a friend of Ando.
フランク・ゲーリーは1929年生まれのカナダ・トロント生まれ、米国ロサンゼルス在住の建築家。意外にもノーマン・フォスターより6つも年上の86歳です。フォスターと同じようにプリツカー賞はじめ世界的な建築賞のほとんどを受賞している、現代を代表する建築家の一人です。ゲーリー自邸をはじめ、若いころから、現代美術と建築の境界を超えるような作品をつくり続けてきました。
21_21 DESIGN SIGHTは、ファッションデザイナーの三宅一生さんが提唱し、私が師事していた安藤忠雄先生が設計を手掛け、2007年に竣工しました
1988年5月13日、ニューヨークでのイサム・ノグチ展の会場で安藤・三宅・ノグチの三者が顔を合わせ、デザインの為のミュージアムの必要性を語り合いました。同年12月にイサム・ノグチは亡くなっていますが、その遺志を継ぎ約20年を経て21_21は開業となりました。
2003年1月28日の朝日新聞誌上で、三宅一生はグラフィックデザイナーの田中一光が急逝したことをきっかけに「造ろう デザインミュージアム」と題した記事を発表します。「日本のデザイン向上のためには自国の技術や伝統を形にして示し、やる気や自信をつける事が必要。その知的エネルギーを発揮することで世界に通用する道を探ることもできるのではないか」とした上で、「ただ消費するばかりでなく、つくることの大事さをもう一度考えよう」と呼びかけました。これを機に三井不動産の賛同を得て、防衛庁跡地計画の打診があり、企画がスタートしました。
この美術館のオープニングイベントは「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」でした。この建物の建設過程含め、プロセスに重点を置いた特徴ある建築展でした。もう9年近く経ちましたが、ついこの間のようです。
三宅一生さんの服飾デザインにインスピレーションをえて、「一枚の布」をコンセプトに安藤先生が設計されました。屋根は厚さ16mmの一枚の鉄板からできています。工場から現場に、この大きさの板を搬入することは不可能ですから現場で溶接したわけですが、「一枚の布」のように平滑に仕上げることは非常に高い技術が必要でした。
以下、 『GA ARCHITECT TADAO ANDO vol.4』の作品解説を引用します。(カギカッコ内)
「東京都港区六本木の旧防衛庁跡地再開発プロジェクト「束京ミッドタウン」の中につくられた、デザインをテーマとする施設である。
「21_21 DESIGN SIGHT」の企画は三宅一生を中心とするプロジェクトチームの発案に始まった。 2003年の基本構想スタートから,2005年の着工に至るまで、プログラム、敷地も定まらないまま数回の計画変更を経た。」
「最終的に落ち着いたのが、ミッドタウン北西の緑豊かなオープンスペースの敷地に2つのギャラリーを持つ施設をつくる、現在の計画である。
設計の与条件として最も大きかったのは、都市計画に指定された公共空地という立地ゆえの建築制限であり、このため建物のほとんどのヴォリュームを地下に埋める形で計画は進んだ。」
「地下空間と地上部分との関係、周囲の環境との連続性をテーマにスタディを重ねていく中で、1枚の鉄板屋根による建築のアイディアが浮かんだ。これは三宅一生の「1枚の布が、それを身につける身体の個性によって異なる立体のフォルムをつくり出す」という1枚の布のコンセプトに着想を得たものだ。
この1枚の鉄板屋根のイメージから、敷地形状に沿ったサイトに大小2枚の鉄板を浮かべ、それぞれの一端を地面に接するよう折り曲げた形の、最終案に行き着いた。」
「全長54メートルに及ぶ屋根を1枚の鉄板としてつくる技術的困難に加え、めまぐるしく変わる設計条件への対応に多くの時間を費やされたことで、工程は極めて厳しいものになっていた。しかし,現場の作り手たちの高い技術力と、建築にかける情熱が、この難工事を可能にした。」
この本の表紙が、ビルバオ・グッゲンハイム美術館(1997)です。ゲーリーの代表作。今は亡き、フィリップ・ジョンソンをして、「今世紀で最も偉大な建物」と言わしめました。
開館後10年間で1000万人近い人々が訪れ、ビルバオの町は世界的な観光地になりました。世界の都市再生プロジェクトの中で最も成功した事例と言われています。
2014年10月~15年1月にパリのポンピドゥセンターで行われた展覧会では、模型はほとんどアクリルケースにおさめられていたが、今回の展覧会は、露出していて、間近で見ることができる。ベニヤの箱を使ったインスタレーションとあいまって、ポンピドゥ展よりゲーリーらしい雰囲気が出ているように思います。
メタルパネルによる外装の検討
フォスターに比べて、ゲーリーはアーチストとして自由奔放に建築をつくり続けているイメージがありましたが、自分のイメージを現場に正確に伝えるためのテクニカルなアプローチを相当早くから始めていて、これから建築界でスタンダードになるであろうBIMの源流を生み出していたことを知り、彼を支える多くの優秀な技術スタッフの存在も含めて、かなり近い部分もあるように思いました。そういえば、ゲーリーは若いころSOMという組織事務所に勤めていた名残で、今でも彼の建築の表面は自由な形態をしているが、中身はかなり単純なグリッドパターンになっているというような話を聞いたことがあります。
完成形の模型等を網羅的に並べたフォスター展に比べ、いくつかのプロジェクトに絞って、その設計プロセス自体を展示したゲーリー展には、別の面白さと迫力があり、21_21DESIGN SIGHTの設立の趣旨にも、よくあっているように思いました。
上のゲーリーのインタビュー本の帯に書かれた言葉「偉大な芸術家はアイディアを借りるし、盗む」
「フランクがこのアイディアを盗んだ、あのディテールを真似たと文句を言うアーティストを見ると、僕はにっこり笑って言ってやるんだ。それがゲーリーの天才たるゆえんだと。ゲーリーにはあらゆるアイディアを吸収するすごい能力があるんだ」(ロサンゼルス郡立美術館館長マイケル・ガバン)
ある映画で劇中の画家が、「俺はピカソは嫌いだ。なぜなら奴はなんでも盗むからだ。」と言っていました。ピカソの言葉「優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。」
ギャラリー1のインタビューで、ゲーリーがそのようなことについて冗談めかして語っていましたが、正確な言葉は忘れてしまいました。
なんにでも好奇心をもち、アイディアを盗み、さらにそれを自分のものにする力量をもつ、偉大な芸術家に共通することのようです。
2月7日まで。あと2週間で会期終了です。関心のある方は早めに見に行きましょう。