山形では先週桜の花が満開でした。

事務所から徒歩10分ほどのところにある霞城公園を起点として、馬見ヶ崎河畔まで桜を観ながら歩きました。

霞城公園内の桜
霞城公園で花見を楽しむ人々

山形城の城郭の基礎は、初代藩主、最上義光(もがみよしあき)公によってつくられました。

霞城公園内にある最上義光像

義光の没後十年もたたないうちに最上氏はお家騒動により改易され、後を受けて、1622年、鳥居忠正が城主となりました。その鳥居忠正が山形城を現在残っている形に整えたと言われています。

霞城公園内に移築された、重要文化財「旧済生館本館」(明治時代につくられた擬洋風建築)

山形城二ノ丸東大手門櫓

上の写真は東大手門を出て二ノ丸のお濠を南向きに見たところ。下の写真は北向きに見たところ。

このお濠の水は、馬見ヶ崎川から、御殿堰という疎水を介して導かれています。川に取水堰を設けたことから、山形ではこれらの疎水(用水路)のことを「堰」と呼んでいます。
ライトアップされた様子

昨年のちょうど今頃、桜の季節に着工した山形県税理士会館は昨年末に完成し、竣工後初めての春を迎えました。霞城公園からは北東に歩いて約10分ほどの位置にあります。

鳥居忠正の時代に整備された、山形五堰のひとつ、御殿堰が建物の横を流れています。山形五堰は、奥羽山脈の西麓から始まり山形市内を流れる馬見ヶ崎(まみがさき)川から取水された疎水(人工的な小川)であり、山形城への給水、農業用水、生活用水のために開削され、400年の長きにわたり、山形城下を潤してきました。日本の疎水百選に認定されています。

明治・大正・昭和の初期に入ると、山形五堰は農業用水,生活用水はもちろん水車を利用した製粉業・精米業や、養鯉・染物・鰻問屋など様々な産業にも活用され、その重要性はますます高くなりました。

しかし、高度経済成長期には、生活排水、工業排水の流入により、水質は急速に悪化しました。近年は、公共下水道の整備や、地域住民の清掃活動などにより、水質は改善され、水生生物も戻ってくるほどにきれいになりました。

山形県税理士会館では、その御殿関に面するように、親水空間(季(とき)の広場)を設け、霞城公園に咲き誇るのと同じ、桜の木を植えました。

植樹して一年目なので、霞城公園の桜ほど立派ではありませんが、元気に花を咲かせてくれてホッとしています。

山形県税理士会館からさらに北東に10分ほど歩くと、文翔館(旧山形県庁)があり、その前庭にも桜の花が咲いています。

文翔館前庭から七日町大通り方向を見る。右端奥に見えるのが裁判所、その左が山形市役所。
文翔館の裏にも清流が流れています。これは山形五堰のひとつ、八ヶ郷堰のようです。
文翔館から東に10分ほど歩くと、擬洋風建築の旧山形師範学校(重要文化財)が見えてきます。現教育資料館です。

多くの時代小説を残した、作家・藤沢周平はこの山形師範学校で学びました。

そして、旧山形師範学校から東南東に歩いて10分ほどで、馬見ヶ崎川の河畔の桜並木へと至ります。右に見えるのが、「日本一の芋煮会フェスティバル」で、昨年まで使われていた「二代目鍋太郎」。現在三代目製作中。

馬見ヶ崎川は、山形市民が秋になると芋煮会を行う場所として、ときどき全国でも報道されますが、桜の名所であることはあまり知られていないようです。

「馬見ヶ崎さくらライン」として、近年ブランド化されたようで(詳しい歴史はわからない)、夜は18:30~21:00でライトアップも行われています。

このあたりには、馬見ヶ崎川から山形五堰への取水口のひとつと思われる支流が見られます。このような取水口から、街中の山形税理士会館横の御殿堰や文翔館裏の八ヶ郷堰、そして山形城のお濠へと奥羽山脈の雪解け水が導かれているのでしょう。江戸時代初期にこの堰をつくった人々の構想力には脱帽です。
山形県のWEBサイトより。④のあたりが文翔館、⑧の左のクランクしているあたりが山形県税理士会館。
全長2.3kmにおよぶ桜並木 この道は高校時代、部活で毎日のようにランニングしていたのでとてもなつかしいです。
今回のルート(霞城公園→山形県税理士会館→文翔館→旧山形師範学校→馬見ヶ崎河畔)

霞城公園の桜が、政府の対外広報誌「We are Tomodachi」の巻頭ページを飾ったという記事が最近、山形新聞に載っていました。

地元にはよく知られていますが、馬見ヶ崎さくらラインはそれほど県外には知られていないように思います。

「霞城公園」と、「馬見ヶ崎さくらライン」という山形市の二大桜名所の間にも、文翔館や旧山形師範学校の前庭に見事な桜の木があります。

山形県税理士会館の親水広場にはわずか3本ではありますが、建築主のご理解のもと、桜の木を植えることができました。そこには山形に「点」としてある桜名所を、つないで「線」にしていくことができないだろうかという思いもありました。

このように少しずつでも、霞城公園と馬見ヶ崎川をつなぐライン上に建物の植栽や街路樹として桜の木を植えていけば、山形市の桜はより魅力的な観光資源になるのではないかと思います。

例えば、一昨年の5月に薬師祭植木市を紹介した時に取り上げた上の通りは山形県税理士会館と文翔館を結ぶ位置にある新しく整備された都市計画道路ですが、現状では街路樹が一本もありません。もし仮に、ここに桜並木が整備されたならば、霞城公園から馬見ヶ崎河畔まで歩きながら桜を楽しんでもいいなという人たちが、きっと現れるのではないでしょうか?それがやがて観光振興にもつながっていきます。

これからのまちづくりには、それぞれの地域毎の意見も重要だとは思いますが、点と点をつないで線とし、やがて面となるようなヴィジョンが必要な気がします。地方都市が観光を含めた都市間競争で生き残っていくためには、官民が連携して、そのような工夫をしていくことが必要なのではないかと思います。そのとき、山形五堰も点と点をつなぐうえで、重要な役割を果たすでしょう。江戸初期の人々に負けないような想像力、構想力が現代にも求められているのではないでしょうか。

事務所のすぐそばにも、山形五堰のひとつ、笹堰が流れています。(山形市立第三中学校の裏)

今回、桜を追いかけながら散歩してみて、山形という街は、網の目のように巡らされた堰を介して、馬見ヶ崎川の澄んだ「水」によって各所が結ばれ、束ねられていたのだということにあらためて気づきました。

そして山形の「桜」は全国にも誇れるものではないかと確信しました。ただ、そのどちらも、今のままではちょっともったいないな、点在する観光資源を結んでいく工夫があれば、もっと素晴らしいのにという気もしたのです。