2018年3月12日、中国広東省広州市にある、広州T.I.T創意園を訪ねました。

広東省の位置。台湾より南にある。

TITクリエイティブパークは、海珠區新港西路397號、広州塔と領事館エリアからわずか数百メートル離れた場所にあり、新しい広州市の中心軸の中心部に位置しています。

広州市の位置

1956年に創立された広州繊維機械工場の跡地を、工場の建物の構造体や、その構内にあった樹木や機械類などの遺構をできるだけそのまま残しながら、物販、飲食、そしてオフィスなどに生まれ変わらせたものです。

2007年に操業を停止した後、広州繊維企業グループと深圳Deyejiグループが出資した広州新仕誠企業發展公司は、ファッション文化と創造的なアイデアを中心としたテーマパークに、この工場エリアを生まれ変わらせました。 基本的に古いものを活用しながら再生し、適宜新しい施設を付加することで。 2009年までに、この場所は正式に一般に開放されました。

設計者は地元の人だと聞きましたが、名前はわかりませんでした。

この施設に関しては、インターネットでも調べましたが、中国語の新聞記事などしかなかったので、自動翻訳を意訳したものを、情報として載せてみたいと思います。(ほとんどの情報は中国語のサイトから得ているので、その点ご了承ください。)

中国語が読める方は百度百科の广州TIT创意园をご覧ください。基本情報は把握できます。

このプロジェクトには広州市も参画しているようで、建物以外のオープンスペースは、クリエイティブバーク(創意園)の名の通り、公園として開放されているようです。(公園の工事や管理を広州市が担っているのかは不明。)

月曜の午前中だったので人がまばらですが、休日は買い物客、家族連れなどでもっとにぎわうのでしょう。

全体の配置。ほとんど、工場があった当時の配置のままだと思われる。現在地は右下のあたり、楕円形の中に星印で示してあるところ。

2010年8月6日、広州T.I.Tクリエイティブパークで「中国ファッションクリエイティブフォーラムと広州T.I.Tクリエイティブパークオープニングセレブレーション」が開催されました。 T.I.Tクリエイティブパークが正式にオープンし、古い工場からの変換は文化の新しい広州市中心軸の新しい座標になるために、創造的な基盤を構築して、中国の繊維・アパレル、ファッション、将来の創造的な開発をリードします。中国の繊維産業協会会長、広州副市長、他の指導者たちは、完全に開発モデルTITクリエイティブパークを確認し、TITクリエイティブパークの開会式に出席しました。(全球新聞の2010年8月11日の記事より。中国語の自動翻訳を意訳)

ここに入っているショップ、飲食店、企業の看板が、緑化壁の上に掲げられている。

オアシスは賑やかな都市の中心軸上で最も貴重な資源です。古い写真と比較してみると、300本の以上のもともとあった古い樹木を全て、工場跡地に見つけることができます。老樹は根を張り、TITに残り、めずらしい形の庭全体は一つの森のようなものです。この公園には真の創造的なガーデンスタイル、快適な環境、新鮮な空気があり、ここには花が咲き、鳥が訪れ、人々は最も望ましい繁華な場所で暮らしています。そんな環境で、デザイナーのインスピレーションを鼓舞することができるので、この創意園は大いに人気があります。(前出の記事を意訳)

瓦を積んだアート(ランドスケープエレメント:景観構成要素)

広州の緯度は沖縄よりも低く、台湾より南にある。3月初旬でも初夏の陽気。植生はほぼ亜熱帯と言っていいだろう。建物の背後には広州塔(高さ600m)が見える。

アパレルメーカーのショップ

繊維製品やアパレルは広州の主要産業であり、近くの中田区は国内で最も重要な繊維工業地区です。TIT創造園は、古い工場の配置を維持しながら、「古いものを元のままに再生することを基本としながら、適宜、新しくオリジナルなものを付け加える」という原則に基づいて、ここに根ざしていた精神を継承しながら、いくつかの機能はコンヴァージョンされました。(前出記事の意訳)

かつてここで働いていた人々や、暮らしていた家族の像だろうか?

床の舗装はレンガ

元の建物の物理的特徴および古い工場エリアの元の生態学的環境も保存されています。芸術的な感じの広場と園路には、古い機械、編み機などが置かれ、古い広州の人が熟知した古い普通煉瓦、古い甍、花崗岩が敷かれ、これが記憶を継承する上で重要な役割を果たしています。硬化炉の工場設備等は、大規模なインスタレーションアートに変形することで、産業要素と現代美術の完璧な融合を生み出します。私たちは創造的な庭の至る所でそれを見ることができます。(前出の記事の意訳)

これもアパレルメーカーのショップ。床のレンガのパターンが上と変わっている。

哲品(ZENS)は、家具や茶器を扱っているセレクトショップ。国内外から一流の品物を仕入れて、店舗や通信販売で売っている。

一年を通じて温暖な地域なので、テラス席は有効だ。(このテーブル、椅子は売り物)

ところどころにアートが置かれている。

日本式ラーメン店と、喫茶店が一緒になったような飲食店。

枕木のようなものを使ったベンチ
古い機械が記憶を紡ぐオブジェとしてそのまま残されている

中國でのLINEのようなSNS、WeChatのキャラクター。この建物はもともとは社員寮か事務所だろうか?4階部分の右側は、コンクリートの壁を削り取ってガラスの箱を挿入しているようだ。

園のいたるとことから広州塔が見えるので、方位は見失いにくい。

これは新しくつくられた建物に見える。他とは違う薄いブラウンのレンガを使い、溝とアクセントのパーツを表面に施している。そのピッチはグラデーションを描いている。

水景も、アクセントとしてところどころにある。

古い建物に、ガラスの箱を突っ込んだというより、付加したような意匠。3階にはペントハウスを増築している。

何となく無印良品のような雰囲気の店。天井(2階床)のデッキプレートは新しい。

イベント時に客席に使えるような階段と、大型スクリーン

工作機械がアートとして並べられている。

この辺からはオフィス・エリア

もともとの衛生スペース、ジェネレータルーム、倉庫スペースは、国内外のファーストクラスの衣類やファッションデザイナーのための拠点に生まれ変わりました。透明な1階はデザイナーの展示スペースで、2階はデザイナーのニーズを完全に満たす快適なオフィス環境を提供します。ファッションとデザインの場所の独特の雰囲気があります。(前出の新聞記事の意訳。)

アパレルメーカーのオフィス兼倉庫のようだ。右に見えるような緑化壁は今や日本だけでなく、中國をはじめどの国にもあるのだろうか?

 

機能を失ったはずの古いクレーンが撤去されないで、インテリアのひとつのアクセントのように使われている。

 

かつての工場の写真が、各オフィスの前に貼られている

大阪倉。この部分は1904年からあるのだろうか。現地の人の話では、日本の大阪と関係があるとのこと。

屋根はすでにないが、屋根を支えていた鉄骨の架構だけを残してあり、ツタが巻き付いている。それが逆に印象的でもある。

このあたり、何となく、かつてあった「同潤会青山アパート」を思い出させる。

この部分は、外壁や階段をあえて単色(黄色)で塗っている。

この建物は改装中のようだ。

(この建物の中にあったのかどうかわからないが)最も注目されるのはファッション出版センターで、元のテキスタイル工場からコンヴァージョンしたものです。4300平方メートル以上の総面積は、中国南部や国の最も専門的なファッションパブリッシングプラットフォームでは、文化と芸術の展覧会、ファッションパブリッシングおよびその他の機能が与えられます。ファッションディスプレイを備えたセントラルホール1に加えて、北と南の両側にレセプションホールとプレスルームもあります。オーディオ機器の完全なセットはドイツから輸入され、音響効果はドイツ側で同期させることができます。(前出の新聞の意訳)

床に埋め込まれた歯車でTITの文字。

レンガ敷きの中庭。広々としている。

この楕円形の古墳のようなものは何なのだろう。貯水槽か何かだろうか?

右はかつての社宅(アパート)だろうか?今も同じ用途で使われているのか。人が住んでいるようだ。

途中に住宅の門のようなものが。工場の関係者(工場長家族など)が住んでいたのだろうか?現在の用途は不明。

近年つくられたような、コンクリート打ち放しの建物

黒板にチョークで書かれたような看板(チョークで書いた後に、クリヤのスプレイでも吹いて定着させたのだろうか?)

ここの軸線上にも、広州タワーが見える。

この建物は再生待ちのようだ。テーマパーク全体は、少しずつ、時間をかけて現在の形になったのだろうか?

カフェ。その前には何か意味ありげなオブジェ。

古いトラクターがオブジェとして置かれている。

何か(たぶん機械の一部)を鋳造するために石炭をくべていた人たちの像

先ほどのカフェ。 これは完全に新しくつくられたように見えるが、どうだろうか?

ここで一服。

これは完全に新しいガラスの箱。柱はなく、方立が構造体として屋根を支えているようだ。こういう新しいものが、違和感なく配置されているのもよい。

 

 

 

赤の矢印がこの日の順路

正門から北上し、5C大道を通り、右折して創意大道に入り南下、少し進んで左折して創意南路、右折して創意東路、さらに右折して細い道を通り、敷地南東にある中庭を経て南側の創意大道に出て、右折して創意西路を北上し左折を二度繰り返して正門に戻ってきた。

今からおよそ9年前にオープンした、旧工場跡地のリノベーション・プロジェクトです。おそらく、それから歳月をかけて、いろいろと手が加えられているとは思うのですが、全体としてなかなか見ごたえのあるものでした。きっと簡単ではなかったと思いますが、昔からあった樹木等の生態系や、機械類を含む遺構が可能な限り残されていて、商業優先のご都合主義の再生計画とは一線を画し、歴史や思い出を後世に語り継ぐ配慮が感じられて好感がもてました。古いものと新しいものがうまく調和しており、歩いていて気持ちよく、こんなところで一度働いてみたいという気持ちにさせられる環境でした。

日本では、1889年に建設された倉敷紡績の工場を宿泊施設に改装して、1973年にオープンした、倉敷アイビースクエア浦辺鎮太郎設計)等、工場や倉庫の保存再生(コンヴァージョン:用途変更)の事例はだいぶ前からありますが、これだけ広大な敷地の中に、古い環境を残しながら、建築、ランドスケープ、アートが一体となったような空間をつくった事例はあまり見たことがありません。

建物の間の路地空間が、公園として一般に公開されていることもこの施設の特徴でしょう。

この公園が、いわゆる行政の管轄する公的空間なのかは不明ですが(そうでない可能性の方が高いと思われる)、民間の商業施設やオフィスと、パブリックスペースがよく連携し、融合している事例として参考になりました。日本のアウトレットモールなどとも違って、オープンスペース自体にそこに佇みたいと思うような豊かさがあります。そういった意味では、保存再生の事例ではありませんが、先日紹介した川場田園プラザなどと似ているかもしれません。

日本では最近になってようやく、公園を、その場所の特性に応じて、民間施設と連携して有効に使ってもいい(むしろ積極的に使うように)というような方針が国(国土交通省)から出されています。従来も法律上できないことではなかったようですが、自治体が国に遠慮して、あまり前例のないことをやりたがらなかったというのが事実のようです。

T.I.T創意園で保存されている工場自体はそれほど古いものではなく、歴史的な価値があるかと言えば微妙であるにもかかわらず、古いものを簡単に切り捨てることをせず、また亜熱帯であれば樹木の生長は早いので、邪魔な既存樹を伐採する選択もあったにもかかわらず、もともとあった樹木などの自然環境(生命)を極力残し、その場がもっていた潜在力を上手に引き出ながら、とても居心地のよい、ここにしかない環境をつくっているのは素晴らしいと思いました。

この場所は、現地の人に紹介してもらうまで私もまったく知りませんでしたが、中国にこういう古いものを生かした、文化的にも優れた場所があることは、日本ではほとんど知られていないのではないかと思います。

やはり、実際に訪れてみるといろいろと新しい発見があるものです。