1月20の夜に中国江蘇省崑山市の南西部約25kmの位置にある錦渓鎮に行き、翌朝まで滞在しました。

蘇州装飾設計行業協会の会長である万浮塵さんが手がけた、古い民家をリノベーションしたホテルに宿泊しました。

万さんが自分の娘がカーテンを開ける様子をみて思いついたというファサード(正面)。瓦のような伝統的な建築材料を用いながらも、縄のれんを押し開いたような柔らかい動きを表現するのは現代的だ。翌朝に見る、日中の表情とは対照的。(後述)

外観の土俗的な素材感から一転して、蛍光色なども用いたカラフルで現代的な表情の空間。しかし、ここでも竹の細い枝などの伝統的な要素は使われており、地域性を演出している。

入口の奥にはフロント、ロビーがある。ロビーから右に折れて、いったん外に出て、いくつかの客室のある別棟に移動する。

客室の鍵は南京錠。面白いが、寝ている間に外からいたずらで丸棒閂(かんぬき)をスライドされたら部屋から出られなくなってしまう。
壹号室 右の布製の袋のなかには、バスローブ等がはいっている。
弐号室 角がめくれたようなデザインの壁。(はがれてきたのではない。)
参号室
部屋同士の間にあるホールの突き当りには丸い孔が開いており、ここを左に曲がると上階に上る階段になっている。
同じホールの入り口側を見たところ
チェックインした後ホテルを出て、古い街並みを歩いて、一軒の酒店(食堂)に入り夕食をとりました。
その後、万さんの知り合いの、茶館にはいり、お茶をいただきました。
お茶専用の溝の入った台の上で

急須ではなく、湯呑茶碗のようなものを蓋でふさいで、少しずらしてできたすき間から、お茶を注ぐ。

さすが中国。喫茶の風習が広まったのは古く、紀元前一世紀にはその記録があるという。当たり前ですが、お茶を楽しむという習慣は、中国では日本以上かもしれません。

ホテルに戻って、エントランスロビーで、お酒や、お茶(プーアール茶)を飲む。
この建物は専門誌で特集されている。設計者の万浮塵さん。
翌朝、自然光が注ぎ込む中で撮った写真。子供たちがスロープを滑り台のようにして遊んでいる。
確かチベットの仏像と聞いた。

中央のテーブルの上では、筆を水で濡らして、書道を楽しめる。(乾くと文字は消える)昔、書道の授業でつかった特殊な黒板(?)のよう。
奥に見える丸い穴は暖炉
奥にある、別棟の方の平面図
別棟からエントランス棟に戻る通路。起伏のついた園路で二つの棟を結んでいる。滑り止めか、ゴムシートのようなものが(おそらく後付で)敷かれている。
エントランス側から園路を見返す。
改装前の様子
エントランスのある棟の2階に上る階段。この上階にも客室がある。

囲碁は中国でも盛んなようだ。

改装の過程
朝のフロント

朝食は、お粥と饅頭、ゆで卵、牛乳

キッチン・カウンター。奥に厨房。
スリット状のファサードと外壁の間。右に見えるのが入口の扉。

昨晩とは違い、瓦の素材感が際立って、素朴な表情を見せる正面外観
昨日は暗くてよくわからなかった旧市街を散歩する、錦渓は五保湖のそばに位置する、2000年以上の歴史をもつ古い町である。

明代の石橋

現地を案内してくれた鐘さんが「猫の顔のような家」と言っていた。確かに。
『地球の歩き方 上海 杭州 蘇州 2017~18』より
この建物の1階は昔は郵便局だった。中国でも電子メールなどの普及で郵便の取り扱いが激減して、今は郵便の取り扱いはせず、郵便記念館のようなものになっている
郵便配達夫のオブジェ
建物内部は展示室
骨董品や玩具を売る店
この辺で獲れる川魚の干物をつくっているようだ。

ところどころ、通りから運河に出られる階段がある

この通りは、商店だけでなく、私設の博物館も多く建ち並んでいた。

昨日夕食をとった食堂が川向うに見える。

通りから横に伸びる路地

丸い孔を抜けていくような意匠は、中国の街中や庭園でよく見られ、万さんの設計したホテルでも、いくつかの場所で使われている。
昨日晩御飯を食べた酒店の入り口

日本ではあまり食べないが、アヒルの卵。

前日にお茶をふるまっていただいた茶館

傘の修理?

コーヒー・ショップか?

江南の歴史文化が残る町並みを活かし「中国民間博物館の郷」として観光開発を推進している。五保湖の一角に運河が形成されており、代に建築された36の石橋が保存されていて、その風情を小舟でも遊覧できる。(Wikipedia「錦渓鎮」より)

今回訪れた中国各地で、狛犬のようなものを見かけた。左右が「阿吽」と違う表情のものもあったが、これは両方とも口を開いている。

1162年(紹興32年)、南宋孝宗の愛妃陳妃がこの地で病死し、妃が愛した五保湖で水葬され、湖に陳妃水家が造られたことに因んで「陳墓」と呼ばれていた。また、菩提のため孝宗は蓮池禅院を建立した。以来800年間陳墓と呼ばれたが、1993年美しい水郷を保存しようと旧名に復した。(同上)

手すりのない石橋。石は湖の底まで下りているようだ。水中で、水が流れるようになっているのかは不明。奥に見えるのが蓮池禅院。

寺院は修理中。

王さんが、ホテルの内装で多用していた、竹ぼうきのような意匠は、古い街並みにもみられる。

水郷には、今でも水と密接に関わった、人々の生活が息づいている

錦渓では、2000年以上前からある水郷の風景と、江蘇省を代表するインテリアデザイナーで建築家でもある万浮塵さんが手がけられた古い民家をリノベーションしたホテルを短い時間で同時に体験できました。

ホテルに戻り、次の目的地である、崑山に出発。
ホテルの名称は「浮点禅隠」

中国は、古いものを壊して、新しいものを次々とつくっていく、猛スピードの開発のイメージしかありませんでした。確かに国土の大半ではそのような大規模開発が、昔からある風景を消し去っているのでしょう。

しかし、中国でも、特に古くからの歴史のある街区では、観光促進も狙って、街並みの保存がなされているようです。ここは日本人の観光客はあまり来ない穴場のようです。逆に、あまり商業化されていなくて味わい深かったように思います。

また、万さんのように、積極的に古い建物のリノベーションに取り組んでいる建築家がいることがわかったことは、ひとつの収穫でした。

おそらく中国全土に、このような動きは次第に伝わっていくでしょう。