先日に続き、鶴岡の古民家再生事例を見ていきます。
今回は「金沢屋」という蕎麦屋さん(そばと麦切りの店)です。
I went to Soba Restaurant “Kanazawaya” in Haguro district, Tsuruoka city, Yamagata Prefecture.
The building of the restaurant was moved from Niigata Prefecture, next to Yamagata. The former function of the building was Sake (a rice wine) factory. It is 200 years old.
旧羽黒町(はぐろまち)は、かつて山形県東田川郡におかれていた町です。2005年に、鶴岡市、藤島町、櫛引町、朝日村、温海町と合併し、鶴岡市となりました。
以前、この日記でもご紹介した国宝・羽黒山五重塔や出羽三山神社で有名な地域です。
前に見た、農家レストラン「菜ぁ」、古民家カフェ「藤の家」は、築130年の農家住居を、その建っていた場所で飲食店や民宿に用途変更し、再生した事例でした。
この金沢屋は、それらよりもさらに古い築200年の酒蔵を、新潟という遠方から運んできて店舗にしたものです。それは通常、その場で再生するよりも難易度は高いといえます。
解体、移転するとなると相応の費用も手間も発生しますので、それなりの文化的・歴史的価値があったり、今ではなかなか手に入らない材を用いた大架構があったりという、相当強い動機づけが必要になってきます。まず、この酒蔵にはそれだけの価値があったということでしょう。確かにこれだけ立派な材は、手に入れたくても、ご縁がなければ難しいでしょう。
元あった土地から建物を動かすことは、それまでおかれていた文脈から切り離されてしまうということであり、それをどのように考え、いかに処理するかが、設計上重要な課題となってきます。
今回の建物では建物に付属していた仕上げなどの細かい要素を一度捨象して、構造体のみに還元することで、場所性を一度取り去って、「日本の民家(蔵)」として、場所や用途を問わずに活用しやすい形にしたうえで、新しい機能を付与するという形をとったように思われます。
もちろん大変な苦労があったと思いますが、応用の効きやすい、割とシンプルな形状の小屋組みの空間をもつ蔵ということで、場所を移して他用途に転換することは、比較的やりやすかったのではないかと推測します。
酒蔵ならではのダイナミックな内部空間を天井を張らずに構造体を露出した吹き抜けとし、あえて、アプローチ側は大きく開かないことで、店に足を踏み入れた瞬間に、わっと驚くような構成になっています。
江戸時代の貴重な建築を受け継ぐことにも一役買いながら、ロードサイドの飲食店という属性からくる要求にもうまく応えて成功しているように思います。
古い木造の建物を移築してくる場合には、用途地域や、防火地域などによっては、規制が厳しく、難しい場合もあると思いますが、周りに建物が密集していない郊外であったり、規模がそれほど大きくなかったことで、あまり厳しい規制を受けずに、このような古民家(蔵)本来の持ち味を生かした活用ができたのかもしれません。
(調べてみると、用途地域の線引きはされておらず、防火指定もない地域ですね。)
「菜ぁ」や「藤の家」のような、その地域で長く培われた、狭義の「場所性」を感じることはありませんでしたが、前二者と違い、一度スケルトンにして再構築したことで、抽象化された古民家のエッセンスを感じることができるような空間になっていました。
駅前からの移転の際に偶然にもこのような古い建物と出会えたことで、ただの特徴のない郊外型店舗にならずに、提供する食事の内容にあった格のある空間を手にすることができて、金沢屋さんにとっても良いめぐりあわせだったのではないでしょうか。
場所や持ち主を変えての古民家再生というのは、お見合いのようなもので、ご縁や相性というのが結構重要になってくるのかもしれませんね。
この日は雪のせいで見えませんでしたが、おそらく、晴れた日には窓から羽黒山が見えるのかな、と思います。
今度はぜひ麦切りを食べに伺いたいです。
金沢屋 (←HP)、羽黒山観光とご一緒にどうぞ。