1月6日、旧山形県庁(文翔館)を訪れました。
Yesterday, I visited “Bunshoukan”, the old city hall of Yamagata prefecture, now renovated and used as the museum of regional history and culture of Yamagata.
以下、建物に関する記述は、館内でいただいた、リーフレット(しおり)の記述を引用または参照しています。
重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」は10年の歳月を経て蘇りました。県では、この貴重な文化遺産を保存するとともに、県民の郷土への理解を深め、本県文化の振興を図るため「山形県郷土館」(愛称:文翔館)を平成7年10月1日開館しました。
明治9年に現在の山形県が成立し、初代県令三島通庸の手によって明治10年に山形県庁舎が、また同16年に県会議事堂が建設されましたが、同44年5月の山形市北大火により両棟とも焼失してしまいました。
同地での復興が計画され、大正2年4月に着手、同5年6月に完成したものが現在の旧県庁舎及び県会議事堂です。
時計装置は今回の解体調査で十分に使えることがわかり、摩耗した部品の取り換えや修理を行い、山形市内の時計技師が保守点検を行っています。
設計は、米沢市出身の建築家中條精一郎を顧問として東京都出身の田原新之助が担当しました。
This building was designed by Shin-no-suke Tawara under supervision of Sei-ichiro Chujo who was born in Yonezawa of Yamagata prefecture.
中條 精一郎(1868-1936)曽禰達蔵とともに曽禰中條建築事務所を主宰し、オフィスビルを中心にして多くの建築作品を手がけた。幕末の米沢藩士の長男。東京帝国大学建築学科を卒業後、文部省技師となり、札幌農学校などの建設に当たった。旧米沢藩主家の上杉憲章とともにイギリスに留学(1904-1907年)、ケンブリッジ大学で建築を学んだ。帰国後、曽禰達蔵とともに設計事務所を開設。慶應義塾の記念図書館が最初期の傑作である。曽禰中條建築事務所はオフィスビルの佳作を多く生み出した。晩年には「建築士法」の成立に尽力し、また国民美術協会の会頭も務めた。(Wikipedia情報)
旧県庁舎及び県会議事堂は英国近世復興様式を基調とした建物で、渡り廊下で結ばれています。
旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外廻りの壁面は石貼りです。旧県会議事堂はレンガ造り一部2階建てで、当初から公会堂として計画され講演会や演奏会等さまざまな催しに使われていました。
This building is made of brick, 3 storied.
いつも思うのですが、もう少し、この前面広場が、市民の憩いの場として活用されるように考えたらどうかと思うのです。確かに重要文化財なので、制約は多いとは思うのですが。ここに、テーブルや椅子でも置いて、お茶でも飲めるようにしたら、市民だけでなく観光客も喜ぶと思うのですが。
今も昔のまま、権威の象徴という感じで、少し近寄りがたい雰囲気があります。歴史資料館という「余生の送り方」は確かに納得できますが、地域活性化のためには美術館のようなよりカジュアルな用途でもよかったように思われます。
京都国立博物館なども片山東熊設計の、同じく重要文化財ですが、最近、現代的な平成知新館(谷口吉生設計)ができて、ショップやカフェなどが充実し活性化されています。ただの標本化された文化財ではなく、西洋の歴史的な建築物のように、市民の生活の中で生き生きとしたものであってほしいと思うのですが、現況はちょっとさみしいなと感じます。
屋根は当時と同じスレート葺きとし、時計塔の銅板葺きなどを再現しました。
昭和50年まで県庁舎として使用されました。県庁移転後は、両棟を文化財として保存することとなり、同59年工2月に国の重要文化財に指定されました。
その後、昭和61年から修理工事が始まり、平成7年9月に10年に及ぶエ事が完成しました。
修理工事にあたっては、解体範囲を最小限にとどめるとともに必要な構造補強を行い、極力在来の材料を使用しながら従来の工法で施行して創建当時の姿の復原を目指しました。
「文翔館」では、建物の一般公開を行うほか、郷土の歴史や暮らしに関する常災展示コーナー、復原工事を紹介する映像ホールなどを設けています。
また、議場ホール、ギャラリー、会議室等の貸出を行っており、県民の文化活動の発表の場として開放しております。
議場では美しいヴォールト天井や正面出入り口のバルコニーなどの意匠を復原しました。
現在で言えば講堂にあたり、訓示や辞令交付、重要な会議等で使われました。内装は特に豪華につくられ、寄木貼りの床板や大理石の飾柱等は当時のままです。天井は戦時中はボード張りに改造されていましたが、花飾りのある漆喰天井を復原しました。
中庭をみて、はじめて、この建物がレンガ造であることに気づかされます。
この中庭もなかなか心地よいスケール感があっていい空間です。
平日の午前中だったということもあるのですが、中庭にも全く人気がなく(もしかしたら、常時開放はしていないのかもしれない)、もっとこのようなオープンスペースを、市民の憩いの場として開放したら、どんなにいいだろうと思いました。
カフェやライブラリー、市民ギャラリーなどを、この中庭に面して設けることはできないのでしょうか?
たとえば、東京丸の内の三菱一号館美術館の中庭のようになれば理想的ですが、街中で日中に人っ子一人いないこの空間はすこし奇異な感じすら覚えます。
かすかに残されていた当時のリノリウムと製法記録により復元しました。国産製品がないためドイツから取り寄せました。
私も昨年一度、ここで開催されたコンサートに招待されたことがあります。なかなかよい雰囲気でした。
議場内部(写真は文翔館のしおりより) 半解体調査や写真等の資料によって、かまぼこ型のヴォールト天井や独立柱が並ぶ議場であることがわかりました。また、前後のレンガ壁にはヴォールト天井の円弧のあとが残り、天井の材料も捨てられずに残っていることがわかりました。これらの資料に基づいて当時の議場に復原しました。
議場としてつかわれた最後の頃は、どのような内観になっていたのか、逆に興味深いです。ヴォールトでなければ、フラットか、船底天井でしょうか?
この旧県庁(文翔館)はひとつ前の「山形市街図」の回で見た、山形駅前から始まる、L字型都市軸の終着点です。ロの字型にして駅まで戻れるようにすることが最終形かもしれませんが、駅についた観光客が駅前大通りから、十日町、七日町を散歩して、旧県庁に至ったとき、最後に、ゆっくり座ってお茶が飲めるスペースもないというのはさみしい限りです。
建物の復原はよくできているし、展示の内容もたいへん有意義で立派だと思いますが、この文翔館を観光資源化するためには、この文翔館内部に、もし無理なら、これを望む通りの向かい側に、文翔館を望めるような、ガラス張りのレストランやカフェがあったらきっと、駅前から人々を誘因する原動力にもなりうるのではないかと思いました。
前回、旧県会議事堂で催されたコンサートにいった帰りにも、近くにお茶を飲む場所もなくて、少し残念に思ったのでした。
でも、自分の住んでいる場所のすぐ近くに、いつでも訪れることができる素晴らしい文化財があるというのは、それだけで豊かな気持ちになれるものです。入場無料ですので、近くの方も、遠くの方も、ぜひ一度行ってみてください。山形駅から歩いて来られる方は、途中で歌懸稲荷神社や山形城三の丸を見ることもできますよ。
[…] そして、この山形県税理士会館は、桜の名所である霞城公園と、文翔館(旧県庁)の中間地点に位置しています。 […]