前々回から紹介している「歌懸稲荷神社」ですが、ここにはもう一つ、重要な史跡があります。国指定史跡「山形城跡」です。城跡とは神社の裏に広がる三の丸の土塁のことなのですが、ここには案内人がいる訳でも、誘導サインがある訳でもなく、知っている人しか行かない(たどり着けない)感じです。
From the precincts of Utakake Inari Shrine, we can see the remains of “San-no-maru” the third compound of the castle of Yamagata.
以下、上の解説の写しです。
国指定史跡 山形城跡
山形城は、山形へ入部した斯波兼頼が延文2年(1357)に築城したもの、と伝えられています。これをもっとも大きい規模に構築したのが山形城主最上義光で、文禄年間(1592~1595)のことです。城は本丸・二の丸、三の丸を有する平城で、その規模は東西1480m、南北1881mに及んだといわれています。まさしく平城としては全国有数の大きさでした。ここ歌懸稲荷神社境内の西側に残る土塁は、三の丸の東南方の十日町口に南接する部分に当たります。昔を偲ばせる樹木が繁茂しており、東側には堀跡が窪みとなって残っています。現在は、二の丸の区域内(霞城公園)とともに、山形城跡として国の史跡に指定されています。
ここに来て初めて、これが価値ある史跡「山形城 三の丸跡」である、ということに気づきます。これだけ山形市の中心にある魅力的な場所が人知れず放置されていることは大変残念ですね。
それなりの人口規模を持つ都市山形市で一番の繁華街の奥にこんな場所があったのかと驚きます。
このページの図版と、以下のカギカッコ内解説は「図説 城下町都市」からの引用です。(図版は少し加工しています。)
「雄大な平城の城下町構成
山形は山形盆地の中央の扇状地に立地する。城下町時代は交通の要衝として発達し、城郭の東側にグリッド状の街路を形成した。
近世城下町としての山形は、南北朝以来の東北の雄藩・最上氏の居城(霞城)であり、1590年代に最上義光により拡張整備された。築城当初、「最上百万石」と称された権勢の下での町割りは、下図で見るとおりの雄大なものであった引き込まれた羽州街道に沿ってL字型の町人地が城郭とその周辺の武家地を取り囲むように配置され、城下町の理想形ともいえる町割りがなされていた。しかしその後、最上家が改易されると(1622年)、小大名が入れ替わり治めることとなり、幕末には郭内に未利用地が多く残されたが、商都としての性格を濃くしていた。」
「近現代の変容 〈官庁街とL字型骨格の形成〉
中心商業地は羽州街道沿いにL字型に発達した一方で、郭内の武家地は藩政期末期には荒廃していた。そのため鉄道を郭内に南北に引き込み、駅を城郭の南に隣接させ、これと南北の中心商業地区の北端に位置する官庁街を核に市街地の再興を図った。県庁、市役所、裁判所、勧業博物館、済生館病院などが旧町人地に集中して建設された。城郭内には陸軍歩兵第32連隊が入城した。これらの中心の官庁街は、学校の郊外移転に介わせて、用途の転換が何度か行われた。
近年、県庁の移転が行われ、旧庁舎は郷土資料館である文翔館として整備された。旧済生館、師範学校なども資料館として再生されている。
現在、中心商業地区、城址公園、駅、城郭東側の官庁街などを結ぶリング状の緑のネットワーク軸を整備することで、鉄道によって分断された市街地の再統合と城下町建設当初の都市構造の再生を図っている。」
もう少し、わかりやすい誘導の方法を考えたり、観光客がお茶でも飲んで佇めるようなカフェをつくったりしてもいいと思うのですが・・・。史跡なので周辺環境を触りにくいなどいろいろあるのでしょうが、このような観光資源をもっと生かすべきではないのでしょうか。
近隣に建っている建物も、一部を除いては、この三の丸に対して閉ざされた印象です。北面になるのかもしれませんが、飲食店であれば眺望を生かしたダイニングがつくれるでしょうし、オフィスでもラウンジなどでこの都市の空地を借景として取り込んで活用しない手はないと思うのですが。
この三の丸土塁もそうですが、歌懸稲荷神社のすぐ南にある「第二公園」(馬見ヶ崎川沿いの千歳公園の次につくられた近代的公園)も、駅前の大通り沿いにあるのに、通りに面して建っている建物に阻まれて、その存在が道行く人にはわかりずらく、あまり活用されていないように思います。地権者もいるので難しい問題ですが、近代的な都市計画が立案された際に市民のためのコモンスペースとして構想されたはずですから、本来あるべき姿からはだいぶ離れてしまっている印象です。これらの都市の余白、ゆとりの場所をもっと人々の集う場所として、有効活用する方法が考えられないものでしょうか?
次回も、もう少し、城下町都市山形が、近代都市へどのように変換し、現代に至ったのかを探ってみたいと思います。