新国立競技場のデザインコンクール当選案に基づく実施設計案が今年の7月17日白紙撤回され、つい最近(12月14日)新しい二つの案が発表されました。
実施設計案は、ザハ・ハディドによるものでした。その実施設計案が、大幅に予算を超過していたということで、マスコミが毎日のように取り上げ、それまでは建築関係者しか知らなかった建築家ザハ・ハディドは、一般の人々も含めて、一躍有名になりました。でも、日本の多くのひとたちは、ザハ・ハディドが、お隣の韓国で、巨大な公共施設を手がけ、最近完成したことをあまり知らないでしょう。
From today I will show you Dongdaemun Design Plaza designed by Zaha Hadid. I visited there early in this September.
韓国でもザハの建築は賛否両論だったらしいですが、むこうではともかく現実のものとして建ちあがり、ソウルの新しいシンボル、ランドマークとなりつつあります。
韓国に住む友人(李さん)に東大門デザインプラザ(DDP)について調べてもらって、情報を得ました。(1円=9.7ウォンですから10で割るとだいたい円になります。また韓国の物価は日本の7割程度と考えればいいかと思います。)
以下、李さんからの情報をそのまま引用します。
「指名コンペで (設計競技に参加したのが) 海外建築家3人 / 韓国建築家3人
審査委員 海外建築家4人 / 韓国建築家3人
初期予想総工事費:2274億ウォン(設計費79億ウォン込みを含む)
-1次設計変更:4089億ウォン(設計費136億ウォン)
規模変更:地下1階~地上3階→地下3階~地上4階に変更
-2次設計変更:4392億ウォン(設計費168億ウォン)
ドンデムン運動場の敷地からハンヤン(昔ソウルの呼び方)の遺跡が発見され設計変更
-総予算:4840億ウォン
〈マスコミから見た視線〉
結果はどうあれソウルのランドマークになりましたが30年間53兆7千億ウォンの生産効果が発生し、44万6千人が職場を得ると予想しましたが3年ぐらいたち無理なことだと分かるようになりました。
以上、簡単な情報でした。
〈個人的な意見〉
海外建築家を審査委員として過半数以上を選んだのは無理があったのではないかと思われます。
韓国国内それも昔のドンデムンの跡を人々の記憶から消してしまったのは残念なことだと思います。」(引用終わり)
李さんが「昔のトンデムン(東大門)の跡」といっているのは上の写真の野球場と競技場です。高校野球の聖地ということですから、日本で言うと甲子園のようなところでしょうか?
首都の中心に位置しているスポーツ施設ということで考えると、神宮球場と国立競技場を一度に解体して、このDDPをつくったというイメージですね。
朝鮮時代の遺構が出てきて、設計変更があったとはいえ、2274億ウォンの予算の倍以上の、4840億ウォンに工事費が膨らんでいます。それでも、雇用創出に対する期待があって計画が進められたようにも取れますが、結果的に予測されたほどの経済効果はなかったようです。物価の違いを考慮に入れると、1/4くらいの規模ですが、韓国でも「新国立競技場」と似たような状況が生じていたということです。(日本の場合、震災復興とオリンピック特需による建設物価の高騰という要因もあったことを考えると、DDPの建設プロセスで起こったことの方がむしろ劇的といえるかもしれませんが。)
文化や国民性、政治・経済の状況、都市の歴史も違い、単純には比較はできませんが、そのまま勢いもって進んでいったのが韓国、踏みとどまって別の案を選ぼうとしているのが日本。周辺環境も含め、これからどういう違いがでてくるか、よく見守っていきたいと思います。
私が今年9月初旬に訪れたときは、中途半端なものではなく、ソウルに今までになかった、本気の現代建築が誕生したことは、素直によかったのでは、という印象を持ちました。これまで、ソウルには、3人の国際的な建築家(レム・コールハース、ジャン・ヌヴェル、マリオ・ボッタ)が共演したLeeum(リウム)という美術館がありましたが、高級住宅地に位置しており、ランドマークたりえていませんでした。
市民にこの施設がよくつかわれるかはこれからでしょうが、なにしろよく目立つ建物です。巨大な建築なので、今日は外周りから見ていきます。
ザハ・ハディドの経歴を簡単に紹介しておきます。
Zaha Hadid(1950~)
1950年 イラク・バグダッド生まれ。77年、イギリスの建築学校、AAスクールを卒業。AAスクールでは、レオン・クリエ、OMAの2人の創設者、エリア・ゼンゲリス、レム・コールハースのもとで教育を受けました。77~79年、OMA勤務。
独立後の1982年、香港の「ザ・ピーク」コンペティションで勝利し、注目を集めるもプロジェクトは実現に至りませんでした。実作がなかったものの、1986年には「GA ARCHITECT 5 ZAHA HADID」という作品集が発行されるなど、いわゆるポストモダニズムの中の「脱構築主義(ディコンストラクティヴィズム)」の一員として、建築界では世界的に知られた存在になりました。
独特な造形デザインで有名になるも、それを実現(施工)できるだけの技術が確立できていなかったこともあり、長い間実作がありませんでした。1994年にドイツで竣工した、ヴィトラ消防署が彼女の初の実現した建築となりました。それ以降は、建設業界における、施工技術の向上、3次元CADの登場とその発展により、実現される作品も増えている。特に21世紀に入ってからは目覚ましい活躍をしているといえるでしょう。
2004年には、女性初のプリツカー賞を受賞しています。
以下、東大門デザインプラザ(DDP)の簡単な解説です。(KONESTから引用)
3次元の立体設計技法を駆使して設計された非線形的な建築デザインが特徴で、形態の異なるアルミパネル45,133枚を使用し流れるような曲線を描く建物の内外観は、それ自体がひとつの芸術作品です。また、ライトアップされる夜には近未来的な様相により一層磨きがかかり、周辺ファッションビル群との幻想的とも言えるコントラストは1級品。建物の設計は、2020年東京オリンピックのメインスタジアム設計にも携わっているイラク出身の建築家、ザハ・ハディッド氏が担当しました。世界水準の建築物は一見の価値があるといえるでしょう。
敷地面積62,957平方メートル、建物面積25,008平方メートル、延面積85,320平方メートルに及ぶ広大なスペースは、大型イベントが開催できる「アートホール(アルリムト)」、韓国デザインと世界トレンドを発信する「ミュージアム(ペウムト)」、デザインビジネスの拠点となる「デザインラボ(サルリムト)」、文化体験やショッピングが楽しめる「デザインマーケット(ディジャインジャント)」の4施設からなります。
大通りに面し、地上・地下の各出入口で東大門エリアに通じているなど、全体的にオープンな造り。特に地下鉄2・4・5号線東大門歴史文化公園駅とすべての施設に直結する「オウルリムスクエア」は、眠らないファッションタウン・東大門の各商業施設に合わせて24時間開放されており、昼夜に関わらず多くの人々で賑わいます。
アートホール(アルリムト)
同時通訳室やVIPスペースを完備するカンファレンスホールのアートホール1、多様な催し・展示が可能なアートホール2、国際フォーラムやコンサートなどに向いている国際会議場からなる大型イベント施設です。ファッションショーをはじめ、試写会、制作発表会など様々な催し物が可能です。
デザインマーケット(ディジャインジャント)
グルメからファッションまで楽しめる地下街エリア。かわいいケーキで韓国女子に人気の「Lucycato」など、10店舗以上のレストランやカフェが並びます。また、ファッションショップや生活雑貨店、「Innisfree(イニスフリー)」などの韓国コスメ店も入店しています。ショッピングしたり一休みできるのはもちろん、大通りの下部分に伸びているため東大門エリア内の移動に便利です。
右手にミュージアムのポスターが見える。(この時はアンディ・ウォーホル展などが開催されていました。)
ミュージアム(ペウムト)
デザインを通して未来への想像力を養う学習・体験空間。博物館では企画展示(有料)が催され、イマジネーションゾーン(サンサンノリト)では大人と子どもが一緒になって不思議なデザイン体験を楽しめます。流線型の造形階段をはじめ、533mのなだらかな傾斜が続くデザイン遊歩道(トゥルレキル)や屋外芝生公園(チャンディサランバン)は、訪れる人々の豊かな発想を刺激してくれるでしょう。また、地下のフロアはデザインマーケットともつながっています。
デザインラボ(サルリムト)
生活に活気と楽しさを与える空間。「ミュージアム+図書館+百貨店」をコンセプトに、情報・トレンド発信の場やビジネスラボを標榜する大規模デザインアートショップが特徴です。デザイン関連書籍を自由に閲覧可能なライブラリー、創造とトレンドをリードするデザイナーギャラリーショップ、伝統工芸品などアートクラフトやアップサイクル製品の販売・展示空間、東大門ファッションスタジオ、キッズブックカフェ、S.M.エンターテイメントのグッズショップ「SMスタジアム」などが揃います。
屋上広場
上の写真のどのエリアにも、人々は(おそらく原則24時間)、自由に出入りすることができ、単なる機能を超えて、都市のパブリックスペースとしての役割を果たしています。
以下、ザハ・ハディド本人による作品の解説です。(カギカッコ内:GA DOCUMENT 129より)
「DDPは文化的なハブとして,ソウルの最も賑やかで,古い地区の中央に建っている。ここはあらゆる世代の人が集まる場所であり,様々なアイディアが誘発,刺激しあい,また新たなテクノロジーやメディアが探求される場所である。数多くの展示会やイベントによって絶えずその場が変化し,ソウルの文化的バイタリティが育まれている。」
「 DDPはかつての古い都市の壁をぐるりと回りこむような,建築的ランドスケープとして建っているため,工事に先行して行われた調査では文化財なども発掘された。こういった歴史的な特徴が公園とプラザをつなぎあわせる中心的な要素をなしている。また流れるような外観が公園とソウル市民の相互の交流も促している。」
「 DDPの公園は,東大門周辺の喧騒の中に佇む緑のオアシスであり,レジャーや息抜き,あるいは癒しの場所となる。公園とプラザが一体になるようになめらかにつなぎ合わせるデザインは,建築と自然の境界を曖昧にしている。また連続する流動的なランドスケープによって都市と公園,建築とを一体化している。公園の表面にある隙間や湾曲部からはその下に広がる革新的なデザインの世界を垣間見ることができ,現代の都市的な文化と自然,歴史を繋ぐ重要な役割を果たしている。」
「DDPのデザインは土地のコンテクストや,土着の文化,機能的な要件,そして画期的なエンジニアリングが一体化したこの場所独自のデザインとなっている。これによって建築と街,ランドスケープが形態的にも空間体験としてもなめらかに組み合わされる。」
「公園はあらゆる人に開放され,来場者は館内のどの階からでも折れ曲がり湾曲した建物のサーフェスを通してダイレクトに出ることができる。このデザインは建築と都市のランドスケープ,物体と空隙、内部と外部の境界線を曖昧にする。これはすなわち空間の流れというコンセプトが現実化した建築的ランドスケープであり、全く新しい都市の市民空間をつくりだしている。」
「 86,574㎡の床面積を持つDDPは,デザインミュージアムと図書館,教育施設によって構成されている。また一方で30,000㎡の公園は韓国の伝統的な庭園をコンセプトにしている。パースペクティブを支配するような要素は一切なく,内部と外部の関係性をぼかすような,水平方向に層状に広がるデザインである。この手法は,絶えず変化し続ける雄大な自然のある一瞬の景色を描写した韓国の伝統的な絵画手法からヒントを得ている。」
「クライアントのヴィジョンは大いに賞賛すべきものであった。DDPの設計と施工においては革新的な規格が多く生み出された。 DDPは最先端の3次元デジタル施工が用いられた韓国で初の公共的なプロジェクトであり,この施工方法によって施工クオリティとコストコントロールを最高のものにすることができた。」
「これらには施工管理と技術コーディネートのための3次元のビルディング・インフォメーション・モデリング(BIM)も含まれており,日々進行するクライアントとの打ち合わせや技術的な要求条件などのすべてを設計プロセスとすり合わせることが可能であった。」
「こういった革新的な技術のおかげで,DDPの施工チームは一般的な施工プロセスに比べ,はるかに正確に施工をコントロールし、また工事の効率性も向上させることもできた。こういった技術を用いたことで,DDPでは韓国における最札斬新,かつ最先端の技術施工を実現できた。ソウル市には深い感謝の意を申し上げたい。」
「DDPは様々な貢献と革新的な活動が起こり,両者が互いに高め合うような対話の場を用意することでコミュニティを引き合わせ,そこでは多くの才能やアイディアが育まれる。市の刺激的な文化プログラムと一体となって,DDPは韓国をイノベーションの中心地として更に発展させるであろう将来の世代のための教育とインスピレーションの重要な投資となる。」
次は、東大門デザインプラザ(DDP)の内部を見ていきましょう。
その前に、DDPを設計したザハ・ハディドのかかわっていた「新国立競技場」で新しい動きがありましたので、少し触れたいと思います。(註:このブログは数回に分けて連載したのですが、現在ひとつに統合しています。)
「新国立競技場」のデザインビルド方式のプロポーザルですが、A案(隈研吾・梓設計・大成建設JV)がB案(伊東豊雄・日本設計・竹中・清水・大林JV)を僅差で破り、A案で設計が進められることが決定されました。収容人員を8万から6.8万人に縮小し、高さも抑え、工期や予算も、範囲内に収まったということです。 新国立競技場_JSCのHP
しかし、その後、
「ザハ氏はA案が安倍首相らに承認され10分もたたないうちに「我々の案と似ている」との酷評コメントを発表した。「スタジアムのレイアウトや座席配置が我々が発表したものと、とても似かよっており、2年間のデザインワークとコストカット案の要素も確認できる」と“模倣”の可能性があると指摘。隈氏は会見で「スタンドが3層になるのは合理的な解決策でそれはザハ案も同じ。スタンドについてザハ案はサドル型だが、私どもはフラットで環境に優しい」と説明。スタジアム上部の外周に「空の杜」と呼ぶ回廊がデザインされたのもザハ案と似ているが「外苑の森を高い場所から眺めたいという発想から得た。自然の結果だと思う」と、偶然の一致と主張した。」(日刊スポーツ記事より抜粋)
「敗れたB案の建築家、伊東豊雄氏が都内の事務所で会見。(中略)伊東氏はA案について「表層部分は違うが、(骨格を)はぐと中身はザハさんの案とかなり近い。訴えられるかもしれないですよ」と懸念を表明。国産木材を多用する骨格を取り除くと、客席の構造などが物議を醸したザハ案とそっくりだと指摘した。自身はザハ案との決別を明確に意図して、建築の構造から相違を意識してきたという。デザインやコンセプトなどではA案と同等もしくは上回る評価を得た。ただ、審査の最重要ポイントとされた「工期短縮」で大きく点数をあけられた。「事前着工ができれば確実に19年11月に間に合う、できなくても何とか完成させたい、と誠意を込めたつもりが、工期に間に合わない可能性があると受け取られてしまった」と悔やんだ。「ある程度A案ありきだった部分もあるのかも」と恨み節も出た。」(スポニチ記事より抜粋)
などの報道がなされ、なにやら不穏な空気も漂っています。今後のザハ氏の動きが注目されます。もちろん、A案で建設することは確定していることでしょうが。
ザハは8月28日に反論の動画をYOU TUBEに投稿していますが、私は、これを昨日初めて見てみました。結構、力を入れてつくっていますね。新国立競技場 ザハ・プレゼンテーション
私が今回の一件で、よくわからなかったのが、日本の最大手の組織設計事務所三社(日建設計・日本設計・梓設計)がザハ案の基本設計、実施設計を担当したにも関わらず、なぜ、基本設計完了時の概算工事費が1625億円だったものが、実施設計後の施工者選定段階で2651億円にまで膨れ上がったのかということです。ザハはコンセプト・デザインの作者、そして、その後の設計の監修者であり、厳密には設計者ではありません。日本の大手設計事務所がタッグを組んで実務にあたり、コストを合わせるための大幅な変更をかけて基本設計をまとめ、それなりの裏付けを取って、基本設計時の概算を出したのに、実施設計完了時にそれよりも1000億も高い見積もりが最終的に出るというのは、常識的には考えられないことです。
(以下、ある規模以上の建築の設計をしたことがある方ならおわかりだと思いますが)基本設計でほとんど建物の形状や大きさ、仕様が決まります。それを、施工会社に渡して具体的に工事できるように、さらなる検討を加え、より情報の密度を上げていく(それ以外に解釈がないという程度まで)のが実施設計です。実施設計の作業量は全設計プロセスの中で一番大きく、工事発注直前のやり直しは事実上不可能なため、そのベースになる基本設計の概算というのは、手戻りのリスクを避けるために相当慎重に見積もりをするはずなのです。
工事を手掛けられるゼネコンは数社しかなく、競争原理が働いていなかったとザハは動画で指摘しています。私が情報に疎いのかもしれませんが、この部分(基本設計時の概算の根拠とそれ以降の価格高騰の要因)は、あまり解明されていないような気がします。(キールアーチが価格高騰の要因とされていますが、これは基本設計の概算時にはすでに存在したものです。)
景観問題(主に高さ、ヴォリューム等が周辺環境と調和しないという)で、ザハの案に反対する動きが、2013年9月に2020年オリンピック開催地が東京に決まる少し前から専門家の間で出始めて、それなりに大きくなっていましたが、一般の人たちの知るところではなかったように思います。それとコストは本来別問題のはずですが、今回、工事費が当初の倍近くになっているということが世論にも影響を与えて政治問題化し、7月17日首相が白紙撤回という結論を出しました。当初、デザインコンクールのあり方が、「国際的な建築賞を受賞したり、大規模な建築物の設計の経験のある人」しか応募できない、最初から参加のハードルの高いコンペであったことも問題視されていたように思いますが、結局、今回はたった2者の争いになりました。(前回は、参加要件が厳しいといっても46者(海外34者、国内12者)も参加者がいました。)そんな狭い競い合いで、今後数十年日本のスポーツの中心を担う施設のあり方が十分に検討されうるのかは疑問(プロポーザル方式の本来の趣旨に合わない)で、果たして世論が納得するのかと思いましたが、特にそのことを疑問視する声は上がらなかったようですね。
もう一度、新国立競技場のことは振り返って、少し整理してみる必要があるのかもしれません。
日本におけるオリンピック施設と建築家をめぐる歴史を建築史家の藤森照信先生が披露されています。この中で書かれているように、核心に触れることはなかなか明かされないのかもしれませんね。
ソウルのDDPは、紆余曲折を経て、実際に建設され、いまだに賛否両論あるようですが、間違いなくソウルの新しいランドマークになりつつあるように思います。
考えてみれば、パリのエッフェル塔やポンピドゥ・センターも、建設中も竣工後も、多くの反対意見がありましたが、今は、両者ともパリの街にとって欠かせない建築であり文化的シンボルになっています。
(詳しくは エッフェル塔(Wikipedia) の「エッフェル塔をめぐる論争」の項や、 ポンピドゥ・センター(Wikipedia)の「建築」の項をご覧ください。)
エッフェル塔などは、竣工当初、「こんな醜いものは見たくない」といって、塔に背を向けながら歩いていた人もいたというほどです。新聞に芸術家たちの抗議声明が掲載されたこともありました。(その芸術家の中には、オペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエも含まれています。)でも、今ではパリの代名詞でしょう。人の感じ方は変わるものです。
新東京都庁なども、当初はバブルの塔のように揶揄されましたが、最近東京スカイツリーができるまでは、「東京のイメージといえばこれ」というほど、東京を代表するランドマークとなり、多くの市民に親しまれるようになっていました。
シドニー・オペラハウスのように難産だったが、のちに都市のシンボルとなり、現代建築でありながら世界遺産にまでなった建築もあります。
当初700万ドルの予算が、コンペ時は無名だったデンマークの建築家ヨーン・ウツソンのコンペ勝利案をもとに設計を進めるうちに、3倍に跳ね上がり、その後ウツソンは政府ともめてプロジェクトを離脱し、その後二度とオーストラリアの土を踏むことはなかったといいます。1955年に基本デザインが確定してから17年後の1972年にオペラハウスは完成しますが、その時までにかかった工事費は1億200万ドル、当初の実に14倍です。竣工までの間に、このような激しい嵐が吹き荒れたものの、シドニーといえば、このオペラハウスを思い出すというように、ランドマークとして定着し、2007年には、築35年しかたっていないのにユネスコ世界遺産に認定されました。
それぞれに時代背景は異なり、一緒くたにすることはできないでしょうが、建物の運命「どのようにして生まれ、どのように人々に受け入れられていくか」というのは、そう簡単には予測したり、評価したりできないものだというのは確かなことであるように思われます。
新国立のザハ案は幻に終わりそうですが、オリンピック招致の勝利には一定の貢献があっただろうし、皆の記憶には刻まれていくでしょう。
ソウルの「DDP」は今後、どのように市民とともに成長していくのでしょうか?そして、東京の「新国立競技場」はどのような形で誕生し、2020年のオリンピックを迎えるのでしょうか?それぞれ、後世に残る、素晴らしい施設になることを期待しています。
では、DDPの内観を紹介しましょう。
デザインマーケット(ディジャインジャント)
ファッションビル側の地下にあるスペース。地下鉄駅からも近く、ファッションビルの前へ向かう地下道にも直結してます。このエリアにはコンビニや飲食店、コスメや洋服屋さんなどがあります。(以下、場所ごとの説明はSEOUL NAVIの記述を参考にしています。)
デザインラボ(サルリムト)
ライブ・デザイン・ライブラリー(Live Design Library)をコンセプトにした施設。1階と2階に店舗があり、通路には本棚が設置され、自由に読書を楽しむことができます。また、4階まで上がるとDDPの象徴でもある屋上にある「みどりの丘」まで行くことができ、そのまま芝生広場を歩いて地上階まで降りることができます。
アートホール(アルリムト)
国際フォーラムやファッションショーが行われる会場です。(ホール内部の見学はできませんでした。)
ミュージアム(ペウムト)
エレベーターで上下階の移動もできますが、展示室を囲んでらせん状にめぐっている全長533mにおよぶデザイン遊歩道を歩く方がおすすめです。1階から4階までつながった幅の広いスロープです。各階にはデザイン博物館、デザイン展示館、デザイン遊び場があり、会期ごとにさまざまな展示が行われています。また4階まで上がると屋上にある「みどりの丘」にたどり着き、そのまま芝生広場を歩いて下まで降りることができます。
内部空間も、好みはわかれるでしょうが、ここまでやるかというくらい、徹底的にデザインされていました。デザイン・ラボなどでは、内部に置かれたものと建築があまり調和していないようにも感じましたが、これはどちらかというと運用上の問題です。いずれにせよ、これくらい真剣に向き合ってつくられたなら、時代を超えて韓国の文化に大きな影響を与えていくものになることは間違いないと思います。まだ、よく使われていないという声も聞きましたが、外観もあわせて、未来への夢を語れる施設になっているように思います。
それがかけたコストに見合っているのかを見極めるには、まだ日が浅すぎるというものでしょう。