以前建築設計をおこなった山形県税理士会館の西側を含む一帯の、御殿堰(ごてんぜき)の景観整備計画です。

2022年3月8日の河北新報の朝刊で取り上げていただきました。→紙媒体(ブログ)  →電子版

都市景観デザイン[歴史的水路「御殿堰」の再生]としてグッドデザイン賞2021を受賞しました。

山形県税理士会館は、グッドデザイン賞2020を受賞した建物です。

より詳しいコンセプトは、ブログをご覧ください。

御殿堰の上に設けられたデッキは今回新設されたもので、東側(パース右側)には御殿堰の解説パネルが設置されます。デッキはコンクリートの床版に花崗岩を貼ったもの、「御殿堰」の文字を白い花崗岩で象嵌しています。

 

戦後、もともとの玉石の上にコンクリートを塗り固めるようにつくられていた従前の護岸は、堰と隣接する土地の所有者との関係もあって基本的に壊すことはできないので、その上に江戸時代に使われていたものに近い、玉石を斜めに貼る(積む)ような形をとります。

そして、今までは水路の底は、土と瓶の破片などの混じった砂利だったので、夏になると雑草が伸び放題でその草刈りをするだけで一苦労だったのですが、コンクリートを打った上に、少し小さめの玉石を埋めていく形にしました。もちろん、江戸時代の日本にはコンクリートはありませんでしたし、水路の幅もコンクリート護岸の分、今回の整備で狭まってしまいます。ですから、厳密に歴史的な景観の復元とは言えないのですが、江戸時代の意匠を尊重した、都市景観の再生とはいえるだろうと思います。

 

これが、景観整備前の、山形県税理士会館横の、御殿堰の様子です。

建物竣工直後の写真ですが、この時はたまたま水路に水が流れていませんでした。ご覧のように、このときの御殿堰は、コンクリートの護岸で覆われていました。(多くの場合この中に江戸時代の玉石が隠れているようです。)

 

景観整備工事完了後

 

御殿堰は、江戸時代に整備されて、山形市内を網の目のように流れている山形五堰の一つです。馬見ヶ崎川の取水口から取り込まれた清水が流れ、生活用水、農業用水として活用されてきました。しかし戦後の高度経済成長期には、生活排水や工場からの排水なども流入するようになり、一時はかつての美しい流れは見る影もなくなってしまいました。その当時の日本は、いかにして貧しさを克服して物質的に豊かになるかを目標にして猛烈に突き進んでいましたので、江戸時代からの石積みの掘割は安易にコンクリートの護岸に置き換えられていきました。このコンクリートの護岸も、その当時(おそらく昭和30年代)につくられたものだと思います。

山形県税理士会館が建つ前は、長く、町工場(併用住宅)が建っており、その西側(写真では左側)に、隣のビルとの間に挟まれるように、御殿堰は流れていました。

ほとんど道行く人々も気づかない、気づいたとしても歴史ある水路「御殿堰」であるとは意識されないほどの狭い隙間でした。

コンペ時のパース

この山形県税理士会館の設計案は、設計競技で選ばれたのですが、このとき、御殿堰を取り込んだ親水広場をつくることを提案しました。そのことも含めて評価していただき当選し、実施されることになりました。

 

そして、上の写真のように竣工することができました。コンペ時とほぼ変わらない形で親水広場も実現しています。

 

上が山形県税理士会館の平面図ですが、広場の部分は以前からのコンクリートの護岸のままになっています。設計者の立場からは、できれば御殿堰に面した部分をもう少しきれいにしたかったのですが、山形市や水利権を持つ団体が堰を管理・運営されていることがわかっていましたので、水路に面して広場を設ける了解をいただくのが精一杯で、水路そのものに触ることはできませんでしたし、考えてもいませんでした。

 

竣工後、1年以上が経過したある日、山形市のまちづくり政策課から連絡をいただき、国からも補助がついて税理士会館周辺の御殿堰を景観整備できる見込みが立ったので、助言してほしいとのお話をいただきました。特にこちらから積極的に働きかけた訳ではなかったのですが、行政の担当の方も、税理士会館前に親水広場がつくられているのを見ていてくださり、以前から力を入れていた山形五堰の景観整備の一環として事業化してくださったようです。

さまざまな経緯を経て、私は、景観整備計画の全体監修、ランドスケープデザインを務めさせていただいくことになりました。

 

上の赤い線で描かれた部分が、今回の工事範囲です。

 

山形県税理士会館の竣工当初の御殿堰の様子です。(2017年12月) 建物の新築工事の時に、コンクリートで覆われていた護岸を親水広場の高さに合わせたら、おそらく江戸時代のものであろう玉石が出てきました。水路の東(写真左)側は建物の敷地の範囲内だったので、このような形で修復することができましたが、西(写真右)側のコンクリート護岸は一切触れられませんでした。

 

景観整備工事後の親水広場

 

今回、親水広場を、建物の円弧状のカーテンウォールと同心円を描くように、水路に向かって少し張り出すように造形しました。すでにコンクリートで覆われている部分を壊して江戸時代にあった通りに復元はできないので、江戸時代の意匠を一部生かしつつ、現代的な要素も取り入れて、江戸と令和が時空を超えて対話するような、新たな風景を生み出すことを目指しました。

御殿堰は基本的に農業用水であり、馬見ヶ崎川の取水口の開閉を景観上の理由で自由に制御することができないので、流水量が一定ではありません。そこで、税理士会館前の水路には、2か所、修景用の堰堤を設け、流水量が少なくても、いつも一定の深さの水が溜まっているようにし、堰堤を水が越えるときにカスケードのように美しい弧を描くように計画しました。これも江戸時代にはなかった意匠ですが、そのような工夫をしなければ、一つ上の写真のように、一度水が止まると底が見えた状態になってしまいます。復元ではないので、行政の担当者とも協議させていただきながら、景観的により魅力的になる方向で検討して、結果的に上のような形になりました。

 

今回の景観整備では、主に上の赤線で表示された範囲を玉石積壁にし、底にも玉石を貼ります。

 

税理士会館前だけでなく、道路の反対側のコンクリートで固められていた護岸にも、玉石を貼って景観整備をしています。通りを歩く人々からは、道路の両側に流れる御殿堰を、面的な広がりをもって感じられるのではないかと思います。

 

御殿堰に向かって少し張り出した、円弧上の広場からは、今までになかった視点から水路を望む体験ができます。このことにより、人々がこの歴史遺産と、より深い関係性を結べればいいと思います。

景観整備工事完了後(2021年6月1日、撮影:小川重雄)

 

ある冬の午後の情景

 

景観整備工事完了後(2021年6月1日)

 

馬見ヶ崎川から山形五堰への取水口の一つ。ここから御殿堰をはじめとする水路に、蔵王山系の清らかな雪融け水が取り込まれて、街中へと導かれていきます。この流れが税理士会館前にもつながっています。

 

馬見ヶ崎河畔は山形市の桜の名所です。秋になると芋煮会でにぎわいます。

山形県税理士会館で親水広場を提案したことがきっかけとなって、その部分を含む100m程の範囲で、御殿堰が景観整備されて、山形市に、歴史と対話できる新しい場所が生まれることになりました

 

景観整備前の親水広場と桜

親水広場には桜の木が3本植えられています。(その桜はもちろん残ります。)

 

景観整備工事後(2021年4月8日)

 

そして、この山形県税理士会館は、桜の名所である霞城公園と、文翔館(旧県庁)の中間地点に位置しています。

 

このことは以前、ブログ「山形五堰と桜」にも書きましたのでご覧いただければと思います。

 

霞城公園のお堀と桜  御殿堰は、このお城(=御殿)のお堀にその一部が流れ込んでいることからその名が付きました。

文翔館(旧山形県庁:重要文化財)と桜

 

山形県教育資料館 (旧山形師範学校:重要文化財)前の桜もきれいです。

 

馬見ヶ崎河畔まで、霞城公園から桜の名所を訪ねながら歩くと45分程度です。

 

もともと、税理士会館前の親水広場が、街歩きの中継地点となればいいと思っていましたが、今回の税理士会館一帯の御殿堰景観整備が一つの刺激となって、既存の魅力的な観光スポットが結ばれて線となり、それがやがて面となって、人々がもっと、歩くことを楽しめるまちになっていけばいいと思います。

 

模型写真

 

景観整備工事完了後(2021年6月1日、撮影:小川重雄)

 

山形市旅篭町の税理士会館周辺の御殿堰整備事業は2021年3月末に完了し、いつでもご覧いただける状態になっております。ぜひ一度お立ち寄りください。

 

(撮影:小川重雄)

 

このブログの写真の特記なきものは、矢野英裕撮影です。