2017年7月25日 市立米沢図書館・よねざわ市民ギャラリーに行ってきました。山下設計が手掛けた建築です。

米沢市は山形県最南端に位置する人口約8万4千人の地方都市です。

上杉神社上杉家廟所が市内にあり、上杉藩の城下町として知られています。

上杉家廟所

毎年、ゴールデンウィークには、上杉まつりが開催され、市民の参加はもとより、多くの観光客でにぎわいます。

上杉まつりでは「川中島の合戦」の再現される

和牛の銘柄の一つである「米沢牛」の産地としても有名です。(三大和牛の一つともされる)

 

上杉家はもともと越後(新潟県)を治めていましたが、1598年会津に移封、その後、関ヶ原の戦いに敗れ米沢に減封され明治の廃藩置県に至るまでこの地を統治しました。

米沢は、鎌倉時代は長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、戦国時代(天文の乱の後)に伊達氏の本拠地となりました。伊達政宗は米沢城で生まれ、岩出山(現・宮城県大崎市)へ移転するまで米沢を支配しました。(ちなみに伊達政宗の母は、山形藩主最上義光の妹・義姫。)

上杉氏からの縁で新潟県上越市との関係が深く、戦国時代に上杉氏が福島城下を領地にしていたことや、江戸時代に年貢米や物資の運搬のため米沢藩米蔵が福島城下に多く立ち並んでいたことから福島市との関係も深いと言われています。

 

先日(11月4日)、東北中央自動車道の米沢・福島間が開通し、福島と車で約40分で結ばれるようになりました。これから、ますます福島との人やモノの交流が盛んになることが期待されています。(→時事通信の関連記事

 

この施設は「ナセBA(=Book & Art)」という愛称がつけられています。

江戸時代屈指の名君として名高い、出羽國米沢藩第九代藩主、上杉鷹山(治憲)公の「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」という有名な歌からとられています。

上杉鷹山は、最近暗殺にまつわる機密文書の公開が話題となった、いまだに人気の高い米大統領(第35代)、ジョン・F・ケネディが最も尊敬する日本人政治家と称賛した人物です。(→日経Biz Gateの関連記事

鷹山は、倹約を推奨することで財政難の米沢藩を立て直し、現在も高等学校として名を残す藩校・興譲館を設立するなど、今日に至るまで米沢の精神的支柱といってもよいでしょう。市の新しい文化拠点を「ナセBA」と名付けたのも頷けます。

うこぎご飯、天ぷら (観るナビ

某TV番組で「山形県民は垣根を食べる」と驚きをもって紹介されました。それは比喩や誇張ではなく事実なのです。

うこぎ」を家の垣根として植えて、その新芽を食用とし庶民の食生活を助けることを鷹山が推奨したことで、現在でも置賜地方を中心に山形県下にその食文化が残っています。独特の苦味とシャキシャキした歯ごたえは一度食べるとやみつきになります。江戸時代とは比べ物にならないほど物質的に豊かになった今日でも、うこぎは郷土の味として愛され、食されています。

外壁は、コンクリート打ち放しと、スギ材パネル(厚さ100mm)貼り。内部に面した壁に杉材パネルを貼り、断熱材としての機能も担わせている。建物の前に、街路樹などの緑があって、館内から見えるとよいと思った。プロポーザル時は敷地はこの道路を挟んで手前側にあった。この敷地上の建物に入っていたテナントが退去しなかったため、公園用地だった今の敷地に建設場所を変更した。将来、元の敷地を公園にする予定である。公園ができれば、オープンギャラリーからその緑が望めるようになるのかもしれない。

 

私がここを訪れたのは、日本建築学会が毎年、全国から100程度の優れた建築作品を集めて発行する建築作品集「建築選集2018」の東北地区の審査のためです。

東北六県から各一名ずつ審査員が選ばれ(任期は二年)座長である支部の審査委員長合わせて、計7名で、東北地区の応募作を審査します。

一次審査は提出書類、写真などにより会議で行われ、その選考で残った14の作品は、設計担当者の説明を聞きながらの現地審査(二次審査)の対象になります。

そこから評価をつけて10作品を東京に送り、東京の選考委員会では、そのようにして全国の支部から集まってきた作品(+海外における作品)を審査して、100程度に絞り込むような仕組みになっています。

私は審査員の一人で、座長である東北大学教授で建築史家の五十嵐太郎さんとともに、この建物の審査に当たりました。(審査は最低でも2人以上で当たることになっている。)訪問は3か月以上前ですが、審査が全て終了するまでは掲載を控えてきました。

8月下旬に、仙台の建築学会東北支部で現地審査の結果を審査員が持ち寄り、東京に送る10作品を会議で選定しました。

先日、最終審査の結果が発表され、この「なせBA」を含む8作品が、東北地方から「建築選集2018」へ掲載されることが決まりました。おめでとうございます。

主な機能として、1階が「よねざわ市民ギャラリー」、2階が「市立米沢図書館」になっています。

当日は、設計者である、山下設計の安田俊也さんと赤澤大介さんにご案内いただきました。

この建物は、プロポーザルによって設計者が選定されました。

プロポーザルに関する記事(→米沢日報)この時は外壁は黒塀のイメージだったようです。

プロポーザル時の 技術提案書    1    2    3    4

審査講評 

(前回取り上げた「寒河江市庁舎」のシンポジウムで司会を務められていた東北芸術工科大学の相羽康郎教授が審査委員長です。)

基本設計案

市民検討会(第一回)

敷地変更の経緯

基本設計案(敷地変更後)

市民検討会(第二回)

敷地が変わった後の基本設計案の広報

最終案に至るまで、市民も交えて多くのプロセスを経ていることがよくわかります。

山下設計は、1928年に山下寿郎が設立した事務所であり(当時、山下寿郎建築事務所)、400名以上の所員を擁する、日本屈指の組織設計事務所です。山下寿郎はこの山形県米沢市出身でしたので、山下設計は、このプロポーザルに相当力を入れたに違いありません。事務所創業者の故郷につくる、そのような強い思いが感じられる建物です。

山下寿郎(やましたとしろう)

「米沢市は山形県最南端、吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地に位置する。冬の寒さは厳しく、年間累計積雪深は10mに達することもある特別豪雪地帯だ。中心部は古くから住宅的スケールの街並みが維持されており、本計画は中心市街地活性化の要として、その中心部に立地する広場を敷地として計画された。本計画のコンセプトはふたつある。ひとつは、屋外の公共空間が豪雪に閉ざされる米沢市の中心部に、冬でも明るく暖かで快適な市民の居場所「本の広場」を実現するということである。ふたつめは、街の中心部が有する住宅的なスケール・環境に呼応する建築のあり方をデザインすることである。」(設計者による解説)

1階 オープンギャラリー まちの人々の流れを建物に引き込む仕掛けとして有効に機能している
オープンギャラリーから折れて、2階にのぼる階段。行く手に図書館の巨大なボリュームがみえる。アスプルンドストックホルム市立図書館の空間構成と似ていると思ったので、設計者に尋ねると、それは意識しましたとのお返事でした。

「そこで、私たちが採用したのは、同心円状のグリッドに配置した壁柱が建物の中心に向かって階段状の断面となる構造と、その壁柱の外側に100mm厚の木パネルを組み合わせた建築システムだ。このシステムにより内部は自然光に満たされ、多様性を獲得すると同時に、外部は周辺の小さなスケールの建物に対し圧迫感を抑制し、雪庇対策としても有効に機能している。」(同上)

20万冊の本に囲まれた閲覧室。一般の人が特別な許可をえずに入れるのは2階レベルのみで、3~5階の機能は、通常でいう閉架書庫である。普通なら倉庫のような壁で囲われた空間になる閉架書庫を、4層にわたる豊かな吹抜の閲覧室をつくるために、視覚的にオープンにして上層階の外周部に配置した。手前に見える中2階は先人顕彰コーナーとなっている。

「また、同心円状にずれながら配置された壁柱の重なりが内部空間を緩やかに分節し、その関係性がこまやを介して外部まで延伸されていることで、内と外の関係に多様性を与えている。さらに、地場産のスギ材を外装材兼外断熱材として活用し、内部を鉄筋コンクリート打放しとすることで、蓄熱型の快適な温熱環境の中に20万冊の本に囲まれた閲覧室を計画した」(同上)

上の階の本に一般の人はアクセスできない(資料請求して取りに行ってもらう)というのは、惜しい感じがするが、そのような制約があってこそ、防災や避難の問題がクリヤできる。3~5階の本棚や本は、本に包まれた空間を演出するためのインテリアとしては、非常に効果的である。中央部の薄い壁柱は、2mの積雪荷重を受けるために鉄のフレームで囲われている。

 

特別に5階の書庫の廊下(バルコニー状の通路)に入らせていただく。
5階から2階閲覧室を見下ろす

 

4階貴重書庫からは、閲覧室上の吹き抜け空間が窓越しに見える
鷹山公御手澤本。貴重書庫は美術館収蔵庫並みの完全な温湿度管理がなされている。
藩校興譲館ゆかりの古文書などが数多く収蔵されている
米沢は上杉藩の城下町としての伝統がある上に、太平洋戦争期間中も大きな空襲がなかったので、全国的にも貴重な数多くの古文書、江戸時代の庶民の読み物などが残されています。

こどもの本のコーナー
寝そべっても読める、こども閲覧室(おはなしの部屋)
米沢出身の漫画家ますむらひろし原画のステンドグラス

閲覧席の家具は天童木工製
インターネット検索コーナー スマホ、タブレット等の普及した今の社会で、このような形のパソコンコーナーが必要なのか少々疑問(むしろwifi環境を充実すべき?蔵書検索なら3~4台を分散配置の方で十分では?)

 

 

貸出・返却カウンター
1階に降りるとオープンギャラリーに面してカフェがある。本日休業。
図書館から下りて左手にあるロビー。おそらく飲食もOK。
オープンギャラリーは人々でにぎわっている。(こどもたちは夏休み?)奥に「ますむらひろし展」の看板が見える
1階 ギャラリーでは「ますむらひろし展」や市民の展示会が開催されていた。
ますむらひろしの漫画(画集)などが販売されている。
このギャラリーの稼働率はとても高く、市民によく利用されているようです。少々残念なのは、このギャラリーは、こまや(縁側空間)に対して窓が設けられていて、本来開かれた使われ方があってもいいと思うのですが、ほとんど閉じられており、こまやとギャラリーの間には人の行き来も視覚的な連続性もないということです。
オープンギャラリーには絵画の展示
この「こまや」をつくったのはいいと思うが、単なる雪除けの通路や自転車置き場ではなく、内外の中間領域として、もう少し積極的なアクティビティのためにつかう工夫はできないのかと思う。この点は設計者の当初の意図通りにはなっていないように感じた。
1階裏の搬入口
営業時間外の返却のためのブックポスト

 

「木で覆われたこの建物は、雪景色の中に温もりある景観を生み出している。内部を暖かく快適に保つだけでなく、古くから続く城下町米沢市の街並みに、従来の風景と柔らかく呼応する新たな景観を付与できたのではないかと考えている。」(設計者による解説の結び。)

外観からは予想がつかない、4層吹き抜けの閲覧室には圧倒されました。米沢の寒く厳しい冬に、市民が自由に集まってこられる場所ができて、地元の人たちは本当に喜んでいるようです。

もちろん、山下設計は日本のどこであっても優れた建築をつくっているに違いありませんが、創業者の故郷に素晴らしい建物をつくってやろうという気概も感じられました。

本来閉架書庫となるべき空間を、非公開だが背表紙を見せる開放型書架とすることで「本の広場」という大空間を構築したり、厚さ100mmのスギ材を外装兼外断熱につかいながら蓄熱型の温熱環境を実現したり、大規模建築物では通常実現しにくいであろう壁式構造を独自の方法で成立させたり、計画、環境、構造と多岐にわたり、従来にはなかったようなユニークな発想と工夫が見られました。

中心市街地の衰退の問題を抱えるのは、歴史ある城下町米沢でも例外ではありませんが、この「ナセBA」をあたらしいまちづくりの基点として、世界にも通用する上杉鷹山の「なせば成る」の精神でまちの活性化を実現してほしいものだと思います。この訪問では、その希望が少し見えた気がしました。

 

(審査当日に撮った写真と、いただいた資料をもとに構成しました。)