12月6日、せんだいメディアテークで映画「だれも知らない建築のはなし」を見終わった後、ライブラリーで休んでいたら、人が窓際にどんどん集まっていく 。何かと思ってみていたら、真っ暗だった窓の外に、一瞬にして光で彩られたケヤキ並木が浮かび上がり、(図書館なので)控えめな歓声が上がりました。17時30分ちょうど。

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メディアテークのライブラリーの窓際に集まる人々
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裏通りから、定禅寺通りを見る

「今年で30回目の節目を迎えた同イベント。17時10分からせんだいメディアテーク前の緑道で行われた点灯式には、宮城県の若生正博副知事、仙台市の奥山恵美子市長をはじめ、今年の公式イメージソングを歌うMay J.さん、現在東京エレクトロンホール宮城(仙台市青葉区国分町3)で公演中の劇団四季のディズニーミュージカル「美女と野獣」にビースト役で出演する佐野正幸さんもゲストとして登場した。

「地下鉄東西線が開業した素晴らしい日に、光のページェントも一緒にお祝いしてくれることをうれしく思う」と奥山市長。「震災からもうすぐ5年になり、この街も一歩一歩復興を進めてきた。私たちの未来へつなぐさらなる希望の光として、ページェントが今年も多くの人たちに夢と希望を与えることを願っている」と話した。

17時30分の時報とともに、定禅寺通(東二番丁通~市民会館前)約700メートルのケヤキ160本に取り付けられた「仙台カラー」のLED電球60万個が一斉に点灯。沿道の観客からは大きな歓声と拍手が上がった。

点灯時間は17時30分~23時(最終日は24時まで)。18時~20時の1時間置きに、1分間消灯した後に再点灯する「スターライト・ウインク」を実施する。今月31日まで。」(仙台経済新聞より)

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中央で開幕のイベントが開かれている。この後May.Jがテーマソングを熱唱。

SENDAI 光のページェント(Wikipedia)

Wikipediaでは2009年から60万個の電球のうち、全体の1/3をLEDに置き換えたと書いていますが、現在ではすべてLEDのようです。

1986年(昭和61年)、『「杜の都」から「光の都」へ』を理念に、市民ボランティアが「杜の都・仙台」を象徴する定禅寺通と青葉通のケヤキ並木にイルミネーションを施したのが始まりである。例年、定禅寺通は、地上から見れば「光の回廊」となり、ナイトフライトで上空から見れば「地上に舞い降りた天の川」となる。(Wikipediaより)

神戸ルミナリエ(1995~)、東京ミレナリオ(1999~)よりも、こちらのほうがずっと早いんですね。

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人々でごった返す、メディアテーク前

自治体からの補助金はあるものの、運営資金の半分以上を企業からの寄付と市民からの募金によっているそうです。

「光のページェントは、企業からの寄付と市民からの募金によって支えられているため、仙台の経済状況に呼応するようにイベント費用の中心をなす総電球個数が増減している。そのため、総電球個数は仙台の景気や消費動向の物差とも見られている。ただし、近年は観光客数の増大に伴う警備の出費も大きいため、総電球個数そのものよりも微分した変化量が有益な指標である。」(Wikipedia)という。

面白いですね。

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風で揺れると光の洪水のような印象を受けるという。脚本家の内舘牧子は「山火事だ…」といったとか。

「第二次世界大戦の際の仙台空襲で焼け野原となった仙台市は、杜の都を象徴する屋敷林を失って、乾燥する冬季に特に砂埃が舞い、戦後復興期に「仙台砂漠」と呼ばれていた。そのため、道路の舗装や街路樹の植林によりこれを改善した。しかし1970年代から本格普及したスパイクタイヤにより、冬季に粉塵が舞って再び「仙台砂漠」と呼ばれるようになった。1985年(昭和60年)に宮城県がスパイクタイヤ規制条例を施行して規制の動きが始まったが、未だ「仙台砂漠」の状態だった1986年(昭和61年)2月、杜の都の新たな象徴の1つとなっていた定禅寺通のケヤキ並木が粉塵で汚れてしまっていることを憂いた市民が、並木に電飾をすることを思いつき、共感した市民たちの協力を得て約1年かけて準備し、SENDAI光のページェントは生まれた。」(Wikipedia)

SENDAI 光のページェントにも、ケヤキ並木の整備から、仙台空襲にまでさかのぼれる歴史があるのですね。

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この前、ポーラ美術館で「自然と都市」という展覧会をみたら、都市を森のように、市民が公園の中に住んでいるようにしようとしたのは、オスマンのパリの都市計画に起源が求められるようです。

街路樹がさびしい山形に住んでいると、街中に立派な並木があるだけでうらやましいのですが、仙台は市民のまちづくりに対する意識も高く、見習いたいものだと思います。

「SENDAI 光のページェント」、バブル崩壊や震災を乗り越えて、30年続いていることは、本当に素晴らしいですね。