本日5月8日、薬師祭植木市に行ってきました。

毎年、5月8日から10日にかけて開かれている、山形市の伝統的な植木市であり、お祭りです。

I went to Yakushi Plant Fair in Yamagata city , one of the three largest plant fair in Japan, which has a history of more than 400 years. It is held on the streets which lead to 1200 year-old Yakushi Temple, from 8th to 10th of May, every year. It is said that Mogami Yoshiaki, the lord of Yamagata in the beginning of Edo Era established the Fair in order to increase greenery of the city for revival from big fire of Yamagata at that time . I walked along the street of the central area of Yamagata City before and after visiting the fair, and I felt we should have more street trees to make the street more attractive for not only drivers but also pedestrians.

日本造園学会のランドスケープ遺産にも選定されています。→薬師祭植木市

以下、日本造園学会のHPからの引用です。

「薬師祭植木市」は、毎年5月8日から10日までの3日間開催され、薬師公園、薬師町通り、新築西通り、五中通り、六日町通りの約3kmの区間に植木と露店が多数並びます。熊本市・大阪市の植木市と並び日本三大植木市の一つと称され、400以上続いている歴史あるお祭りです。起源は諸説ありますが、山形城主最上義光公(1546~1614年)が、大火で焼失した城下に緑を取り戻そうと住民に呼びかけたのが始まりといわれています。時代の変遷とともに植木市と国分寺薬師堂の祭礼が一つになり「薬師祭植木市」と呼ばれるようになったとされます。県内外から多数の来場があり世代を超えて親しまれる風物詩でもあり、さながら街並みが森のようになる風景は圧巻です。

事務所のある双葉町から、霞城公園(山形城本丸跡)を通って、歩いて行ってみました。薬師祭植木市が開催されている、薬師町、六日町まで、徒歩で約40分かかりました。

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霞城公園を通り抜けて

今日は初夏の陽気といってもよいほどのお天気で、日差しも強かったのです。

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大手門をくぐり

霞城公園内は大きな樹木が多く残されており、木陰を選びながら歩くことができましたが、

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大手町から旅籠町方面を見る

霞城公園を出て、通りを歩き始めると、街路樹はほとんどなく、山形は、歩くことを楽しめるようにまちづくりがなされていないということを痛感しました。

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国道112号線

このような新しく整備された大通りにも、中央分離帯はおろか、歩道にさえ街路樹がなく、植えるスペースすら計画されていないのです。この狭い植栽帯には草花や灌木しか植えられません。

山形市は、すでに何度か紹介しましたが、昭和8年に全国の最高気温の記録40.8度を刻んでから、2007年に熊谷市と多治見市が40.9度でそれを塗り替えるまで、74年もの長きにわたって、日本の最高気温の記録を保持していた、夏とても暑い都市なのです。そのような都市に街路樹が整備されていないことには何か理由があるのでしょうか。

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羽州街道

私は昨年山形に戻ってきてから、山形はほかの都市に比べて街中に緑が少なく、潤いがないなという印象を強く抱いてきました。きっと山形に住み続けていたら、あまり気づかなかったことでしょう。羽州街道には、木陰をつくるには少し小ぶりですが、街路樹が植えてあり、少しほっとしました。

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ここから薬師祭植木市が始まります。下の図でいうと中央の一番長い通りの赤で塗られた部分(薬師祭植木市の開催区間)の左端に当たります。
薬師祭植木市(5月8日・9日・10日)薬師公園とその周辺の路上で開催されます
日本三大植木市の一つとされる「薬師祭植木市」。   薬師公園と周辺約3キロの通りに植木や縁日など約430店が出店します。山形商工会議所HP
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双葉町の事務所から(GOOGLE MAPでは設定できなかったが、実際は霞城公園を通り抜けて)羽州街道へ、そして、国分寺薬師堂まで。
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羽州街道側から国分寺薬師堂に向けて歩いていく
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植木市というより、普通のお祭り、縁日の出店のようなものが多い。近年、この傾向が強くなっているようだ。
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ようやく植木を売っている店を発見。

◆薬師祭とは
薬師祭は山形市の薬師町にある国分寺薬師堂の祭礼です。現在は新緑の頃の5月8日~10日の三日間行われ、有名な植木市はもちろんのこと護摩祈祷や大般若転読会、花まつりなどがあわせて行われます。(山形市観光協会のHPより。以下の植木市の説明も同様)

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品定めする人たち
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通りに面した商店も、店の前にテントを張って、商売と関係のある(時には全く関係のない)商品を特価で販売している。
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ちょうど花の咲く季節に合わせて開催されるので、色合いを確認して買うことができる。

◆薬師祭の時期について
以前、薬師祭は旧暦の4月8日~10日の三日間行われており、祭りの時期は呼び物としてサーカスや人形芝居などの見世物小屋が境内に掛けられていました。
1911(明治44)年、祭りの日取りを新暦5月8日~10日に変更したところちょうどその日、山形市の北部大火がおこり県庁・市役所等の諸官庁をはじめ多くの神社・仏閣・商店・住宅が焼失し、薬師堂までが灰塵となってしまいました。これは祭りの日取りを変えたことによる神仏のたたりだという噂が町内に広まり、翌年にはもとの4月8日~10日に戻されました。
しかしその後昭和10年頃からは新暦の5月8日~10日に切り替えられ、今日まで続いています。

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新築西通りと薬師町通りの交差点
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左に見えるのが薬師公園(国分寺薬師堂)  鬱蒼とした森のようだ。
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国分寺薬師堂の歴史は古く奈良時代にさかのぼる
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正門(参道入り口)
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聖武帝勅願所 國分寺薬師堂

◆植木市とは
熊本市・大阪市の植木市と並び日本三大植木市の一つと呼ばれている山形市の植木市。出品される植木の数や種類も豊富で、山形市内の山寺、楯山、鈴川地区を始め、新潟県や埼玉県など県内外より松、伽羅を始め数万点にのぼるさまざまな苗木類が寄せられています。期間は薬師祭の行われる5月8日~10日の三日間で、薬師堂を中心に薬師町通り、そして山形五中東通りなどを延べ約3キロの道路に植木屋がずらりと軒を並べ、鮮やかな新緑の植木や民芸品がお客を出迎えています。
1767(明和4)年の『山形風流松の木枕』などの書物に植木市に関する記述があることから、少なくとも江戸時代には植木市が開かれております。
昔から山形には寺院が多く、「坪作り」という庭園を造る趣味も発達していたので、その需要を充たすために古くから植木市が栄えてきたと思われます。

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金堂に向かう参道
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現在の金堂は、明治44年5月8日の市北大火の翌年に造営されたもの。
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素焼きの窯変瓦が印象的である。岡山の閑谷学校の備前瓦を思い出す。
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国分寺薬師堂縁起 奈良時代 聖武天皇が諸国に国分寺、国分尼寺をつくり、仏教を中心に据えた中央集権国家、古代律令国家の基礎をつくろうとした。この出羽の国分寺がいつ、ここにできたかは定かではないが、聖武天皇の勅命により、行基菩薩が開山の後、鎮守府将軍大野東人が七堂伽藍を造営した、とある。
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それほど歴史的な価値がある建物ではないが、周囲の森の中で、なかなかよいたたずまいを見せており、風格も感じさせる。
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私が小さいころから薬師祭りと言えば、このおばけ屋敷が必ず目玉としてあったな。場所もあまり変わっていないような。
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40年もたった今も健在だとは驚き。同じ人(会社)が運営しているとすれば、エライ。
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門をいったん出て、東に向かうと
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お隣には護国神社がある。ここは山形で一番初詣参拝者数が多い神社。
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左側に見えるのが薬師祭の終点。右側が護国神社の鳥居。

 

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薬師祭植木市は、曜日と関係なく毎年、5月8,9,10日の3日間と決まっている。今回は初日が日曜日で、GW最終日と重なったため、大勢の家族連れなどでにぎわっていた。
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薬師堂の裏手にある池

◆植木市の由来について
薬師祭の名物となっている植木市。その由来について確かなことは不明ですが、山形城主の最上義光時代に大火があり、町内の緑樹が減ってしまったために緑化奨励として付近の農民達に呼びかけ開かせたのが始まりと伝えられています。
また薬師祭の開かれる時期は、樹木に移植に良い時期であり、近代に入って山形市の発展と同時に交通の便も良くなり、植木市は次第に大きくなってきました。

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新築西通りの北側(山形五中東通り)に入ると、ここは飲食の出店はなく、本格的な植木市となっている。
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盆栽から、鉢植えの花、4mを超すような庭木までが売られている。話を聞いたら県外からの植木屋さんも来ているようだ。
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ここは鉢植えの草花類
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造園相談所。
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こんなに大きな松も
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上の黒松 200万円! (毎日新聞によると、今回出品の中では最高額)
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さまざまな大きさの草木が一か所で売られていることも
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ツツジなどの灌木類
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ここは仙台からの植木屋さん。手前の株立ちのヤマボウシが良かった。お値段30万円也。
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新築西通りに面した「ズンチャカ音楽制作研究所」ではガレージを開放して、コンサートを開催。奥では人々が飲食を楽しんでいる。

日本三大植木市のうちの一つが開催される熊本が、震災で大変な時期なので、熊本を応援するようなコーナーがあってもよかったかと思いましたが、私が見たところ、それは祭りの会場のどこにもなかったですね。ちょっと残念。

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新築西通り。私の母校山形東高のすぐ西側にある。昔はもっと狭くて、歩道もなく車がすれ違うのがやっとという道路だった。その通りに面した江川分店という雑貨屋(駄菓子屋?)さんで、部活の帰りにアイスやジュースなどを買った思い出があるが、今はその店もなく面影もない。懐かしいといえば懐かしいが、記憶と映像が一致しない。
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先ほどのステージで、今度は山形舞子が踊りを披露。

やまがた舞子とは?

「山形県を南北に流れる最上川は、紅花商人の昔から京・大阪との交易を盛んにし、その文化を本県にもたらしました。 とりわけ、県都山形市は、政治・経済・文化の中心として独自の地域文化を育み現代に伝えております。また最近は、高速交通網の整備により、県内外から多くの人々が本市を訪れ、経済や文化の交流が年々盛んになっております。
そして、山形には長い歴史を刻んできた素晴らしい伝統芸能が、今も数多く伝承されており、なかでも山形芸妓は、 当地を代表する伝統的な芸能を保持し、その優れた技能から全国的にも高い評価をえております。 しかし、最盛期の大正から昭和初期には150名を数えた山形芸妓も、時代の変遷とともに減少し、 現在では10数名となり深刻な後継者不足に悩まされております。

そのようななか、平成8年2月に山形商工会議所や山形市観光協会が中心となり、山形市内企業の出資によりまして、 伝統芸能後継者育成のため「山形伝統芸能振興株式会社-愛称:やまがた紅の会」が設立されました。そして、現在は、試験で選ばれた若いやまがた舞子が伝統芸能後継者として、 踊りや唄・三味線などの特訓を受けながらお座敷に出て活躍しております。」

やまがた舞子を育てる会HPより)

薬師祭植木市は、ただ植木を売っているだけではなく、毎年新緑の季節に巡ってくる、山形市民の一大エンタテイメントでもあったのですね。満喫しました。

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帰りのルート。羽州街道は旅籠町でクランクして七日町を通るのだが、今回はそのまま南下して、十日町で右折、すずらん街を抜けて、山形駅前に。
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再び徒歩で双葉町の事務所に戻る。街路樹が一本もない新しく整備された大通り。(羽州街道が伸びて旅籠町にいたるところ) 中央分離帯にも、歩道にも、植栽を植える(今後植えるであろう)スペースは見当たらない。(少し見える緑は屋敷内の樹木) こんな殺伐とした市街地の(新しく整備された)都市計画道路は、全国を見渡しても見つけるのが難しいのではないだろうか?

薬師祭植木市のあった新築西通りも比較的新しく整備された都市計画道路ですが (今回は出店と人混みでよくわからなかったですが)、上の写真の通りと同様に、何故か、ほとんど街路樹が植えられていないのです。山形市内の多くの道路からは「街中には樹木はいらない」という強い意志すらを感じます。それとも、それはむしろ事なかれ主義や近視眼的な都市へのビジョンが生んだ結果であり、今や「意志」というより「惰性」に近いものなのでしょうか?

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上の通りを反対側から見たところ。街路樹が一本もない大通り。人が歩いて暮らすことを想定していない街のつくり。木陰もなく、潤いが感じられない街並み。
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途中、駅前近くのスズラン街をとおる。ここには葉っぱの生い茂った樹木が比較的多くあって気持ちがいい。街に緑があると、歩く楽しさが全然違う。
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ところがスズラン街を抜けて駅前の大通りに出るとこんな有様。正面に見えるのがJR山形駅。樹木が枝を切られて痛々しい姿を見せている。
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駅前の街路樹は生きてはいるが、見るも無残な姿。木から悲鳴が聞こえてきそうだ。薬師祭植木市だって十分、外から観光客を呼べるポテンシャルがあるのに、植木市を楽しみに山形にきて最初に目にする光景がこれでは…

以前、山形の駅前から十日町、七日町、旧県庁(文翔館)に至る通りの活性化について、この日記で書いたことがありました。今年の一月前半です。

以下リンクです。→ 「歌懸稲荷神社」 「城下町都市山形」 「山形市街図」 「旧山形県庁」 「山形梅月堂」

昨今、山形の中心市街地はかつての賑わいを失っています。その理由は、きわめて単純化して言えば、市民の多くが、日用品は郊外型ショッピングセンター、量販店に買いに行き(これは全国の地方都市の商店街がシャッター通りになる要因と同じです)、また、少し高級なものやおしゃれなものは、高速道路の開通により車で1時間以内で行けるようになった仙台での週末ショッピングで手に入れるようになったからです。それに加えて近年では、全国津々浦々に及ぶ宅配物流網の発展とインターネット商取引の普及による、通信販売の隆盛が拍車をかけています。(山形で何人もの方とお話ししましたが、このことに異議を唱える人はいませんでした。)

ということは、山形の中心市街地が元気を吹き返すには、歩いて楽しめる街にすることにより、人々が単に商品を購入するという目的以上の、そこにしかない豊かさを得られるようにしなければならないということではないでしょうか。

街路樹が整備され、歩いて楽しめるような街になれば、今より観光客も増えるはずです。山形の中心市街地の生き残りは、市民が日常生活をそこで楽しめるということも含めて、「観光」とリンクした商業を創出するしかないはずです。

山形には魅力的なものがたくさんあると思っているだけに、実にもったいないという気がします。

山形駅に降り立った観光客がまず目にするのは、上の写真のような残念な光景です。よそからお客様を迎え入れようという雰囲気ではありませんよね。

初夏から秋にかけて、強い日差しのために日傘をささなければ歩けないようでは、市内観光もしにくいですしね。

(国内はもとより、海外からのお客様も視野に入れなければいけない時代です。外国人観光客によるインバウンド効果は、東日本大震災のイメージなども影響し、東北までにはまだ及んでいないのが現状。勝負はこれからです。)

SENDAI
仙台 定禅寺通り   今日行われた仙台国際ハーフマラソンでは選手たちが街路樹の下を気持ちよさそうに走っていましたね。国際報道されても見劣りしない美しい都市景観です。

仙台は「杜の都」として、イメージもよく、歩くのが楽しそうな町です。その仙台もかつては、第二次世界大戦の戦災で荒廃し、都市の歴史を物語る古いものがほとんど残っていないところからの再出発で、まちづくりという点では、山形より相当不利な立場に置かれていたはずです。しかし、焼け野原から立ち上がるために通り沿いに樹木を植えるところから始め、今では「森の中に住まう」あるいは「庭園都市」といってもいいような非常に雰囲気のよい街を、市民と行政が長い年月をかけて、力を合わせてつくりあげてきました。その苦労が報われて、仙台では街路が市民の共有のリビングスペースのようになりえています。山形は中心市街地までもが車での移動を前提とした効率優先・経済性重視の都市計画となっており、基本的に道路は通過動線にすぎません。このような道路は歩行者には優しくないし、街路自体を市民の共有の居間として心地よく設えておこうという意識が希薄であるため、街に滞留して時間を過ごすようなまちづくりになっていないのです。これでは人々が次第に街から姿を消していくのも無理はありません。

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山形駅東口のペデストリアンデッキ上の樹木も何かさみしい。
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山形駅の東西を結ぶ自由通路を通って、西口に
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西口の大通りは、比較的街路樹が多い。
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近年になって整備された山形駅西口は、300mほどはこのような雰囲気の街路がつづく。しかし、駅周辺でこのような木陰のできる街路樹はここだけである。仙台ほどの密度でなくとも、せめてこの程度の街路樹は、すべての大通りに植えてもよいのではないだろうか?

山形は、400年以上前から植木市が開催されているほど、市民が植木に愛着を持ち、植物をめでる文化をもった土地のはずです。

しかし、現在の山形市内の街路樹の貧しさと扱いのひどさには目を覆わんばかりです。私は、山形に戻ってきてから、ここに長く住まわれている建築家、建設関係者、一般の方々にもこの件に関して話を伺ってきました。

市民の中にも、この現状を問題視している人は少なからずいるようです。しかし、山形では以前から学校の校庭などに植えてあった樹齢何十年という巨木を、生徒や周辺住民の感情にも配慮しないで簡単に切り倒してしまったりするようなことがどうも多いようなのです。東京などの大都市でこのようなことがあったら、市民が声を上げるでしょう。その点では市民の、市街地における樹木の重要性に対する意識が、山形ではまだまだ低いといわざるをえないのかもしれません。

ちょっと信じられませんが、「山形は周りが山に囲まれていてすぐそこに自然の森があるのに、何でわざわざ街中に木を植える必要があるのか」、「山の木を切り倒して材木をつくっているのだから、街中の巨木だって邪魔だったら切っても構わないだろう」という浅薄な考えがまかり通っている気配すらあります。

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フランク・ロイド・ライトの落水荘。既存樹木を守るために、建物の梁(パーゴラ)をカーブさせている。このように「そこに生きてきた樹木」に配慮した建築や都市の計画は、古今東西、枚挙にいとまがない。樹木にも生命があり霊が宿っているというのは古くからある考え方で、いとも簡単に人間の都合で樹木を切るようになったのはむしろ近代以降ではないのか?

定かではありませんが、山形では行政やその都市政策を指導してきた学者の中に、街路樹にはあまり肯定的ではない方がいらっしゃって、その影響がいまだに根強いという噂も耳にしたことがあります。

行政の立場からは、市民の側が、「葉っぱが落ちて掃除が面倒だ」「虫がついて迷惑だ」などのクレームをつけ、街路樹をほしがっていないから積極的に植えにくいのだという弁明もあるようです。公に対して、市民が少しずつ、協力したり、我慢したりすることで初めて、まちづくりは成り立つものであって、行政は理念を掲げて、未来につながる都市政策を進めるべきでしょう。

除雪などの邪魔になるということもあるのでしょうが、仙台や札幌の大通公園でも街路樹は立派に育ちながら維持されているので、結局は何に重きを置くかという思想の問題だと思われます。

SAPPORO
札幌 大通り公園

ウィキペディアの街路樹の項目を見ると、効果と弊害が併記されていて、この問題を考える際には参考になります。これによると、一般には、行政の側が街路樹を強引に植えてしまうことの方が、むしろ問題になっているとされていますが、山形に関しては、これとは逆の方向に極端に振れてしまっているような気がしてなりません。街路樹は弊害についての熟慮を重ねたうえで施されるべきであることはまちがいなく、それには大変な手間がかかることでしょう。しかしその手間を惜しまずに、それぞれの場所に適した街路樹を丁寧に育てていくことではじめて、魅力的な都市景観を、生活しやすい街を、つくることが可能となるのではないでしょうか?

さまざまな意見があって、そう簡単なことではないようですが、夏になったら暑くて散歩もできず、自動車でしか市内を移動できないような街では、近代的な都市計画の陥穽におちいっているとしかいいようがありません。山形は本当に市街地を散歩している人の数が少ないなと感じます。それは快適に、歩いて楽しめるような環境づくりがなされていないことも一つの要因であるように思われます。

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街路樹(ナナカマド) 6月 札幌市 (『街路樹』(技報堂出版)より) 北の大地でも街路樹はのびのびと枝を張っている

街路樹よりも、医療・福祉に税金を回すべきだという意見もあるでしょうが、歩きやすい環境をつくって健康増進を図り、生活習慣病やロコモティブ・シンドロームなどを予防する方が、治療や薬に対する公的支出を節減でき、むしろ、より明るく健康的な暮らしを守れるのではないでしょうか。少子高齢化が進み、人口規模が縮小する中、コンパクトシティを目指すうえでも、街路樹は重要な役割を担うと考えます。「歩いて暮らせるまちづくり」は平成11年に閣議決定された政策ですが、今日においてその重要度はさらに増しているのではないでしょうか。

400年以上の薬師さまの植木市の伝統に恥じないような、緑あふれる街になればいいなとおもうばかりです。植木市の由来は、山形城主最上義光が大火で減ってしまった町内の緑樹を取り戻そうとして付近の農民達に呼びかけ開かせたのが始まりだというのですから。最上義光は、緑が街にもたらす力、人心に与える影響をよく知っていたのでしょう。山形城下の嘆かわしい樹木の現状を見て、義光公も草葉の陰でさぞや無念に思っているのでは?と、薬師祭植木市の初日に山形の街歩きをして思いました。

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「伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。(中略)われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシア人は石で投票したというが、死者には墓石で投票して貰わなければならない。」(『正統とは何か』(G.K.チェスタトン)より)

山形市周辺にお住いの方々は、平日になりますが、明日、明後日(9日10日)の残り二日間ありますので、「薬師祭植木市」に足を運んで、いつものように祭り気分を楽しみながらも、この機会に、お薬師さまの歴史や山形のまちづくりについても、すこし思いを巡らせてみられてはいかがでしょうか?